笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

「サラバ!」読みました。

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「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ。」

 

サラバ!」 西加奈子 小学館文庫

 

 いつも子どもを連れて行く公園で、イランのご出身だというパパさんと知り合った。僕よりひとまわり年上で、十代の頃にビジネスで来日したという。とても話の面白い方で、イランジョークをとばしまくってくる。どこまでがジョークで、どこからが本当のことかよく分からない。ランボーと名乗っておいでだけど、それも本名かどうか(いや、本名なワケないよね?)。でも、嘘でもそうでなくても、何となく、そう言われればそうだと信じてしまいそうな迫力がある。不思議。
 ランボーさんが来日したと仰る1980年代といえば、イランは戦争真っ只中。大変な時代だったはず。きっとご苦労されたことだろうし、悲しいこともたくさんあったにちがいない。今、僕の目の前にいるランボーさんは、明るいおじさん、という感じだけど、紆余曲折を経ての、そのキャラなのだろうと思う。ランボーと名乗るだけあって、タフな見た目の方だが、メンタルのタフネスも相当だろうとお察しした。

 日本でずっと暮らしている僕にとって、イランは遠い国だ。関わりは、ほぼない。知識もない。中学生の時に読んでいた田中芳樹さんの「アルスラーン戦記」は、確かペルシャをモデルにしていたっけ。あと、イランに紐付けて引き出せる僕の知識は、ええと、何だろう、ルバイヤット(ウマル・ハイヤーム)と・・・西加奈子さんぐらいだろうか。

 西加奈子さん、確か僕と同世代だったはず、と思って調べてみると、ひとつ違いの先輩だった。お生まれがイランのテヘラン。2015年に「サラバ!」で直木賞を受賞されている。
 そうそう、「サラバ!」をね、一度読みたいとずっと思っているのに、他に積読のストックがあるために、まだ読んでいないんですよ。ランボーさんと話していて、そんなことを思い出し、いいきっかけだと思ったので、図書館で借りて読んでみることにした。
 西さんの作品は、以前に「通天閣」を読んだことがある。これもいい作品だった。西さんの作品で僕が気に入っているポイントは、その言葉遣い。西さんの声が直接脳の中に届いてくるような、ほとんど朗読のような、文体。お話したことはないけれど、多分、こういう言葉で普段からおしゃべりする方なんだろうなあという感じの、そのおしゃべりの言葉がそのまま瞬間冷凍で文字に凝固させられたような、言葉。「サラバ!」でも、その文体が使われている。いい。
 受賞当時、半自伝的作品などと言われていた「サラバ!」だけど、どうだろう、自伝ではなさそうに思う。根拠はないけど。主人公の生い立ちが、西さんの経歴にオーバーラップする部分が多いから、自伝のような感じはするが、きっとそうじゃないな。だからやっぱり、半・自伝的、なんだよね。まあそのへんは、作者本人と、その身近な人にしかわからない。そして、僕みたいな一読者が、知る必要もない。
 描かれている世界が、僕の人生とまるまる時代がかぶるので、なんだか他人の話のような感じがしない。僕はイランで生まれたわけじゃないし、エジプトで暮らした経験もないけれど、物語と僕が歴史的イベントを共有しているせいで、描かれているその時代時代の空気感が思い出される感覚があり、不思議だ。阪神淡路大震災地下鉄サリン事件、ニューヨークの9.11、東関東大震災・・・僕はこれらの事件を、主人公と同じような立場、同じような場所で経験しているんだよね。この歴史を、同時代人として共有している作家が、文字にして作品に書き残しているのを読む、というのは、初めての経験だった。

 21世紀に生きる読書人として、21世紀の作品に触れるのは、大事なことだと思う。どうしても古典に手を伸ばすことが多い僕だけど、チャンスがあれば積極的に、今書いている作家の作品も手にしたいとは願っているのだ。
 本当は、文芸誌なんか読むといいんだろうね。図書館では最新刊の雑誌を貸し出してくれないし、雑誌は嵩張るので、今まであまり買ったことがないし、手に取ったこともない。近頃は慢性疲労症候群のせいで、読書に集中力を発揮できる時間も限られている(本気で集中できるのは朝だけ。そこからちょっとずつ集中力が落ちていって、夕方には、文字の訴える内容が全然頭にはいってこない)わけだけど、脳ミソのリハビリもかねて、古典の読み直しじゃなくて、今まで読んだことのない作品を、もっと読めるといいなあ、なんて思う。
 「サラバ!」、いい作品だった。苦しくても、もうちょっと頑張って生きてみようって気持ちになれる物語だった。西加奈子さんに、拍手。