笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

夏休み

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 今年も夏がきた。
 いつまでも雨が続くので、梅雨の次には秋がきてしまうんじゃないかと危惧したが、夏はちゃんとやってきた。しかも唐突に。えらいもんだ。
 子どもは夏休みに入った。中学生もそうだし、うちの子どもたちもそう。中学生は部活があるようだが、まあ、休みは休みだよ。欠席してもそう厳しく叱責されるようなことはないみたいだし。連絡はちゃんとしなきゃだけどね。

 子どもだった頃、僕にも夏休みがあった。人と話していて、「子どもの頃、夏休みに何してた?」なんて話になることがあるけど、うーん、皆さんは何してました? 僕は、何もしてませんでした。本・・・読んでたかな。それくらい。家族ででかけたなんて思い出もない。あるにはあったけど、親戚の法事だとか、用事のある旅行ばかりだったから、全然楽しくなかったし。そういや、レジャーに出かけるという発想をもたない家族だったなあ、僕の実家は。だから、あんなおかしな中学校に僕をぶち込んだのかもしれない。僕の通った中学校は、夏休みに入るとまず全員に「補講」があるという、変な学校だった。子どもは、とりあえず学校行かせときゃ、親は楽だからね。子どもは何も面白くないけど。あれ、ちょっとした虐待だったんじゃないかと、今僕は思う。夏休みは、虐待。うん、そうだな、なんか、しっくりきた。あれはきっと、学校と家族からの、僕に対する虐待だった。
 片道2時間近くかかる遠い学校だったから、通学も大変だった。夏は、暑いから夏休みなのに、クソ暑い通学路を、駅から20分近く歩く。電車の都合によっては走る。これを虐待と呼ばずして、なんと呼ぼう。
 しかし、お盆の時期になると一応学校も休みになる。けど、えらく遠い学校なので、近所に友だちがいない。いるにはいるのだけど、一番近くて電車で二駅とかなので、気軽にドアホンを押しにいけるレベルではない。
 遊び相手のいない夏休みは、苦痛だ。高校生くらいになると行動範囲も広がって、つるんで三宮あたりをぶらついたりも・・・あーいや、そんなにしなかったな。阪神淡路大震災が起こったのが、僕が高校一年生の時で、あの頃の三宮は、解体・再生中だった。時々、カラオケボックスぐらいは行った記憶があるけれど、他に何かあるかと問われたら、ほぼ思い出せない。

 夏休みが楽しかった、という記憶が、十代より以前の僕にはない。夏休みが楽しいと感じられたのは、大学生になってからだ。
 十代とはうってかわって、大学時代の夏休みは楽しかった。音楽漬けの毎日だったと記憶している。時間はあっても金がなかったので、旅行に行ったりとか、そういう楽しみ方はしなかったけど、朝から晩まで文化サークル棟にいて、ひたすら楽器を吹き倒し、仲間には呆れられ、警備員には怒られたっけ。

 そうそう、大学の頃は、サークル棟に行きさえすれば、誰かしら、僕と同じような、金はないけど時間はあって、楽器さえ触っていれば幸せって奴がいて、一緒にアンサンブルをしたり、つるんでファミレスに行き何時間も粘って音楽談義を戦わせたり、たまたま懐具合が暖かい時があると、飲み屋にに流れたりもした。
 やっぱりね、いつでも気軽に会える仲間がいるというのは、いいことだよ。中学や高校の時の友だちも、気軽な仲間ではあったけど、いかんせん、住んでいる場所が遠すぎた。その距離をひょいと越えるためのツールもなかった。中学や高校は、あまり遠くに行くべきではないよなあ。だから、子どもには近場の共学校に通って欲しいと思う。まあ、本人の希望があれば、別に何でも構わないけど。

 大人の僕にはもう、夏休みと呼べるような休みはないけれど、子どもたちにはまだ何年も、夏休みを楽しむチャンスがある。
 僕の子どもは、小学生だ。短期の習い事に通ったり、近所の公園で日が暮れるまで遊んだりしている。出かけると、その先々で誰かしら学校の友だちに会う。それが楽しいらしい。でかける公園は自宅の近くだけど、さすがに日暮れ近くなると、子どもだけで遊ばせておくのは恐いので、基本、僕がつきあうことにしている。彼らは、放っておくと、本当に真っ暗になるまで遊んでいる。
 楽しそうでいいな。僕もそういう夏休みを子ども時代に送りたかったな。でも、まあ、もういいや。今から悔いるには、僕はもう歳をとりすぎている。僕が楽しめなかった分は、子ども達に楽しんでもらおう。そう願う。願うことにする。だから僕は、日が落ちて薄暗くなって、遊び相手がみんな帰ってしまうまで、子どもを公園で遊ばせる。
 遊べ、遊べ、子どもたち。君たちが楽しんだ分だけ、仲間も楽しんでいるだろう。大人になる前には、そういう経験が必要なんだ。飽きるまで遊べばいい。遊び尽くして、それから大人になれ。