笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

もう吹いていいの?/パンデミック下における管楽器演奏の可否について思うこと

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 JR三宮駅の南側、以前OPAの建っていたビルの跡地が今、空き地になっている。そのうち何か建てるのだろうけど、今は空き地。その空き地が、キッチンカーやステージのある広場として利用されている。
 先だっての休日に駅の近くを歩いていたら、元気のいいサックスの音が聞こえた。あ、これは生音だ。生のサックスが鳴っている。不思議なもので、ピンマイクを通して増幅されていても、録音の音と生の音は聞き分けがつく。立体感が全然違うのだ。気になって広場の方に入ってみるとやっぱり、ステージでサックスとトロンボーンが演奏していた。
 最初は、いいなと思いながら訊いていたのだけど、途中から僕は、違和感を感じた。
 トロンボーンとサックスの生演奏。奏者と観客の距離は近い。テナーサックスの奏者はステージから降りて聴衆の近くまで降りてくるパフォーマンスをしている。三年前なら、違和感は感じなかったに違いない。しかし、まだ終息宣言の出ないパンデミックの状況で、これはアリなのか? 

 非難しているわけではない。ただ、中学校の吹奏楽部を指導していて、中学生はプレイヤー同士でさえいまだに厳格な感染対策を強いられている状況なのに、屋外とはいえ管楽器奏者と聴衆の距離がこんなに近いのは、もうアリなのか?
 なんだろうな、なんだろうな、このモヤモヤ感。もしこれがアリなら、それは非常に嬉しいことだ。市民がコロナウイルスに対して無対策であっても、そう大事にはならないという目処が立ったということなのだから。なら、学校だってそろそろガードを下げて通常体制に以降してもいいんじゃない? もういいよね? 楽しくおしゃべりしながら給食を食べたり、休み時間はノーマスクで校庭を走り回ったり、一つの部屋に集まって楽しく歌ったり合奏したりしてもいいよね?
 でも、多分、まだダメだよね?

 結局、どっちなのよ? それが僕の感じるモヤモヤだ。

 先だってまで指導に行っていた中学校に、高校生になったOGがやってきて、「定期演奏会があるから来てくださーい」と宣伝をしていた。その時、「あれ、高校生は定期演奏会なんてやってるんだ、やっていいんだ」と知って、不思議に思った。多分、中学生にはまだ許されていない。中学生はNGで、高校生はOK。その線引きは一体何? 
 別にね、OKならOKでいいし、NGならNGで仕方ないと諦めるのだけど、そのボーダーラインの位置と理由がさ、はっきりしないんだよな。だから、ダメって言われても、納得感がない。つまり、誰かは我慢してるのに、他の誰かは我慢しなくてもいいっていう状況と、その誰かと他の誰かの違いがよくわからないっていうことと、そこに差をつける理由が見えないっていうのが、どうにもモヤモヤするんだ。
 いや、ひょっとしたら、そこには明確な理由や根拠があるのかもしれない。でもそれを僕は知らされていない。

 もうすぐ新年度が始まる。僕がこの記事をupする頃にはきっともう始まっているだろう。今年度こそ、通常営業の一年であって欲しいな。コロナの横やりを気にしないで、やるべきことを、やりたいことを、子どもが目一杯楽しめる一年であって欲しいな。でも、必要な時にはやっぱり活動制限もしなきゃならないだろうし、それはきちんと伝えて欲しいな。その時には、「なんで、大人はいいのに、僕たちはダメなの?」みたいなことがないように決めて連絡して欲しいな。
 中学校のスイブを教えている支援員の先生は、そのように願っております。