笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

2020年、最後の須磨


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「青年は荒野をめざす――」
 プロフェッサーが低い声で呟いた。
 ジュンはデッキから体を乗り出した。波の飛沫が、彼の顔を濡らした。彼は、まばたきもせずに、暗い海と空を見つめ続けていた。彼はいま、新たな荒野へ出発しようとしている痩せた狼のように自分を感じていた。

 

「青年は荒野をめざす」 五木寛之 文春文庫

 

 ついに、東京の一日の新規感染者が八百人を、兵庫で二百人を超えた。年内に行きたいと思っていたところがいくつかあったけど、後回しにできるところは後回しにすることにした。リスクの高そうな場所も、今は我慢。
 最後の最後に、ここだけは行っておこうと腰を上げた行き先は、須磨だった。仕事のない平日、人混みのなさそうな時刻を選んで電車に乗った。須磨行きの普通電車は空いていた。風は冷たいが、天気は快晴。いつものように、駅前のセブンでコーヒーを買った。そしていつものように、浜辺に座ってコーヒーを飲み、写真を撮り歩いた。そして、コロナのことや自分の日常のことに思いを巡らせた。

 僕はだいたい十年に一度くらいの割合で、災害に遭遇する。
 最初の大きな災害は阪神淡路大震災だった。その次は横浜在住の頃に、東北の大震災。そして今度はコロナのパンデミック
 神戸と東北の地震の後、僕は大きな引越をしている。神戸の地震の後には、進学して横浜に行き、東北の地震の後には転職して神戸に戻った。僕の場合、そういう人生の大きな移動、転換点は、大きな災害とリンクしているように感じる。だから、今度のパンデミックがあって、僕の人生も分岐点が近いのかもしれない。そんな風に思う。

 そうやってぶらぶら歩きながら考えていると、いろいろなことが思い出される。就職する直前の大学四年の時には、ニューヨーク9.11のテロがあった。まだ結婚前の妻をバイクで自宅に送って下宿のアパートに戻り、ブラウン管のテレビデオ(懐かしい・・・)をつけると、ビルに飛行機が突っ込む映像が繰り返し流れていて、「映画かな?」なんて思ったっけ。その半年後、就職した僕は通勤の利便性を考えて引越をした。
 その引っ越し先のアパートが区画整理のために取り壊されることになり、再度の引越をしたのはリーマンショックのあった頃だった。そのあたりのタイミングで僕は結婚もしている。

 今年、コロナのパンデミックがあって、「するとやっぱり、僕にも何かあるぞ」という感覚がどうしても拭えない。何か大きなコトが起こるのは、僕の人生に切り返しが起こる予兆だ。僕は占いとか予言とか信じないタイプだけど、でもきっと、何かある。
 いい方向に物事が進むといいんだけどな。


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