笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

二輪車

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「やあ」と僕は自転車に呼びかける。
「※★Φ!」
「やめとけ。二輪車とは分かりあえないって。・・・」

 

「ガソリン生活」 伊坂幸太郎 朝日文庫

 

 車が好きかと問われたら、最近は「嫌いじゃないよ」と応えることにしている。
 僕はもともとバイク乗りだ。バイクの開放感を知っている身としては、車はちょっと物足りない。車のキャビンに比べてフルフェイスのヘルメットはどう考えても狭いのに、バイクの方がはるかに自由だと感じるのはなぜだろう。でも、少なくとも僕は、車の運転席に座って感じるあの閉塞感を、どうも好きになれない。
 もちろん車の利便性は認めるし、それに、いつも車を息苦しく感じながら運転しているかというと、そういう訳でもない。雨の日や、北風の冷たさが厳しい季節の深夜にドライブするのは、結構好きだ。あの閉じ込められている感じが、かえっていい。フロントガラスに薄氷が張りつくような夜に、コートを着たままハンドルを握って、ゆっくりと港沿いの道を流すのは気持ちがいいとすら感じる。
 しかしやっぱり、僕はバイクの方がいいな。

 初めて乗ったバイクは、マニュアルのゼロハンだった。CL50という、ホンダのスクランブラーで、ゼロハンカブのエンジンをプレス鋼板のフレームに載せてあった。当時、カブのミッションには三速オートマティックと四速マニュアルがあって、CL50にはクラッチレバーつきの四速ミッションが採用されていた。ロータリー式のミッションにはストッパーがなく、走行中でもニュートラルから一速に入ることがあって、なかなか刺激的なバイクだった。
 僕はこのバイクで横浜中を走り回った。確か大学二年の冬に手に入れて、四年に上がる直前に中古の水冷400ccを手に入れるまで乗っていた。400ccを手に入れた後は、実家の家族が乗るというので、陸送で神戸に送り、帰省してた時に近所を散策するのに使った。家族はしばらく使っていたようだけど、「乗りにくい」という理由で手放したようだ。今、そのCL50は手元にない。
 確かに乗りにくいバイクではあった。あのスクランブラーのスタイルが好きで手に入れたのだけど、セルはなかったし、ミッションも扱いにくかった。そして何より、4ストロークの50ccは非力だった。
 横浜駅近くに浅間下という交差点があり、ここから三ツ沢へと上っていく曲がりくねった急坂が、僕のアパートから繁華街に出る最短ルートの一つだった。保土ケ谷のアパートから横浜駅桜木町へ降りるときは別にいいのだけど、問題は帰り道で、二速フルスロットルでやっと30km/hをキープできた。少しでもスロットルを緩めようものならたちまち失速し、三ツ沢グラウンドの峠を超えるまでは少しも気を抜けなかった。
 でも、あの小さな単気筒エンジンのフィーリングは好きだったな。非力ではあったけど、真面目でタフだった。愚直だった。僕はそういうのが好きだ。機械についても、人間についても。

 CL50で思い出深いのは、鎌倉へのツーリングだ。一人で行った。つまり、ソロツーリングだった。北鎌倉の切り通しを苦労して超えたのをよく覚えている。七里ヶ浜まで行って、海を見て、帰った。それだけなのに、心の底から楽しかった。ケツも腰も痛かったし、真冬で寒かったし、本当は江ノ島あたりまで行くつもりだったのだけどあまりに体が辛くて諦めたのに、生身の人間が自分の両腕で操作するマシンであそこまで行けたというだけで面白かった。中免を取った後も、七里には何度も行ったけど、今になっても思い出すのはCL50で片道二時間かかった最初のツーリングだ。アパートに帰ってきてエンジンを切ったときの、マフラーがチンチンと鳴る音まで覚えている気がする。

 近頃、あの頼りないバイクがやけに懐かしい。できればまた乗りたいと思う。さすがに同じモデルはもう生産していないけど、カブならまだカタログにある。買う理由さえあれば、買うんだけどな。でも今は、その言い訳がない。