笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

小澤征爾、去る。

f:id:sekimogura:20240214174648j:image

 

 二月一日、神戸から貨物船淡路山丸で出発した。埠頭で見送りに立っていたのはたった三人、明石にいる友人とその母上、それに兄貴だけ。貨物船なのでよその見送り人もない。まことに静かな旅立ちだった。何とも複雑な気持ちである。
 --- こいつは大変なことになった。いったいどうなることやら・・・。


「僕の音楽武者修行」 小澤征爾 新潮文庫

 

 指揮者・小澤征爾が世を去った。
 僕が子どもだった頃、オザワ=ボストン響といえば、世界屈指の名コンビとしてクラシックの世界で喝采を浴びていた。当時、コンサートに行く金などないクラシックファンの子どもが音楽に触れるためにはCDを買うしかない時代であったから、僕のレコード棚にはたくさんのオザワ=ボストン響の録音が並んでいる。僕は特にマーラーが好きで、神戸で震災があった日、僕の頭上を飛び越えたミニコンポにはこの、オザワ=ボストンのマーラー6番のディスクが入っていた。
 小澤征爾さんは、音楽に向き合う真摯さと、ステージマンらしい軽やかさのバランスがとれた、素晴らしい指揮者だった。いつか金ができたら生のステージを拝見したいと願っていたのだけど、ついにその機会を得られなかったことは悔やまれる。金のことなど気にせず、聴きに行けばよかった。無念。

 小澤さんといえば、指揮棒をもたないスタイルがトレードマークである。
 映像でしか拝見したことがないが、指先まで使って表情豊かに指揮する姿は実に印象深かった。全身全霊を込めて、という表現が、まさにふさわしい。小澤さんの指揮は、いつも指が歌っていた。そして、腕も、表情も、存在全てが音楽であるかのように大オーケストラと一体になって指揮する姿は、ステージに漂う音楽の精霊を必死になってつかまえようとしているようにも見えた。指揮棒で突き刺すのではなく、素手で。
 それは、夏の空を飛び交う昆虫を、背伸びして捕らえようとする少年の姿のようでもあった。とすると、小澤さんにとっては、ステージの照明は夏の激しい日差しで、音楽は魅力的な獲物だったのだろうか。そんな想像もおもしろい。けど、そういうことを考えてしまうほど、指揮をする小澤さんの表情が無垢であったことも印象深い。そういえば小澤さんは、ボストンの地元球団であるレッドソックスの大ファンだったようで、野球のユニフォームをお召しになって画面に現れるニュースを見たことがあったっけ。よくお似合いだった。そしてやはり、ユニフォーム姿は無垢な少年のようであった。

 指揮者・小澤征爾の魂よ、永遠なれ。
 そして、音楽少年の魂よ、永遠なれ。夏の日差しと、終わることのない喝采とともに。