笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

指揮棒

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 中学校の吹奏楽部に、外部支援員という立場で週に数度、お邪魔している。慢性疲労症候群のリハビリとお小遣い稼ぎ、というのが表向きの理由で、中学生と音楽で遊んで楽しもう、っていうのが本音。僕は音楽に関わることなら誰と何をしていたって楽しいので、いい気晴らしである。慢性疲労症候群の症状は、今服用している漢方薬の組み合わせが僕にあっているみたいで、小康状態だ。疲れがたまると息切れしたような症状に襲われることはまだあるけれど、それでも中学校に二時間遊びに行くくらいなら問題ない程度にはなってきた。

 とはいえ、お礼をいただいて音楽を教えに行っているわけだから、やるべきことはやらねばならない。生徒さんひとりひとりの練習をみながら、演奏のアドバイスをしたり音楽の話をしたりしている。
 そういう活動を始めて三年目になるけれど、今まではどちらかというと、指揮台の下で奏者個人個人に声をかけていくようなシーンが多かった。でも今年度お邪魔している学校の顧問の先生には、僕が棒の振り方を知っているということがばれてしまったので、今年度は指揮台の上に上がる機会もありそうだ。練習だけだけどね。

 指揮・・・苦手です。
 先に白状しておくと、僕の指揮は下手くそだ。申し訳ないが、人前で振れるレベルではない。それでも横浜にいた頃に、一通り勉強はした。たたき、しゃくい、図形、平均運動・・・勉強はしたけれど、だからって上手に振れるわけではない。楽器と同じだ。トレーニングと経験値が積み上がって、始めて上達する。僕はどちらかというと奏者の立場でいたい方で、指揮台に立つのはなるべく避けてきたから、指揮なんて上手い訳がない。

 でもなぜか、棒、つまりタクトは持っている。横浜でも子どもに音楽を教えていたことがあったので、その時もやはりやむなく指揮台に立つことがあり、仕方がないので買った。で、買ったくせに、指揮棒を持つとどうにもやりづらく感じたので、結局タクトなしの小澤征爾スタイルで振るようになり、今でも指揮棒は持たない。持ち運ぶの、面倒だしね。しかし、今お邪魔している中学校は、人数も多いし、練習場所の部屋がちょっと暗めなので、ちゃんとタクトを持つようにしようかなと考えている。

 指揮棒は、指揮者の腕の動きを拡大するためのものだ。動きの拡大によって、指揮者の意図は奏者に伝わりやすくなる。上手な指揮者は、タクトの扱いもうまい。タクトの動きがそのまま音楽になるのだ。
 だが、下手くそが指揮棒を持つと悲惨である。下手くそ具合が拡大されるからだ。小澤征爾はあえてタクトをもたないスタイルなだけだから、タクトを持っても素晴らしい指揮ができるが、僕はそうではない。僕が指揮棒を持たないのは、結局、下手くそをごまかすためで、持ち運ぶのが面倒だからなんてのはただの言い訳。
 じゃあタクトなしで振ればいいのだけど、さっきも書いたように、練習部屋が薄暗くて棒無しでは見えにくそうに感じるので、まあこれもいい機会だから僕自身も練習させてもらうつもりで、タクトを持とうと決めた。

 なのでここ数日、鏡の前にタクトを持って立ち、棒振りの練習をしている。疲れるし、肩は痛いし、自分の下手な棒を眺め続けるのは精神的に苦痛だし、正直に言って中々つらいがしかし、とにかく練習、練習。ああ、指揮って難しい。今まで奏者としてオケに関わってきて、「あの指揮者の図形はわかりにくい」とか「あの指揮者は外に振る時の打点がはっきりしない」とかって、色んな指揮者の陰口をたたきまくってきたけど、全部撤回します。ホントすみませんでした。指揮者って大変。

 指揮棒には木製のものとファイバー製のものがある。僕の持っている指揮棒は木製だ。確か、ファイバー製は木製に比べると少し高価だったから「安い方でいっか」と気軽に決めたんじゃなかったかな。木製の指揮棒はファイバー製に比べると重い。というか、ファイバー製はほぼ重さを感じないレベルの軽さ。今持っている木の指揮棒を買った時は、「どうせそんなに使わない」って気持ちで決めたし、実際、全然使わなかったのだけど、いざ本気だして練習をしてみると、じわじわその重さがきいてくる。微妙なニュアンスを振り分けたい時に、しんどい。棒先がついてこない。
 うーん、本気で使うなら、やっぱりファイバー製が欲しいな。度々振る機会があるようなら、ちょっと考えよう。