笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

コンクール

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 なんだろうな、吹奏楽部の活動における、このコンクールというやつ。これがあると思うと嫌になるのだけど、なければないで、寂しい。

 僕は勝負事が嫌いだ。スポーツでもゲームでも賭け事でも、とにかく勝ちだの負けだのと笑ったり泣いたりするのが・・・なんというか・・・めんどくさい。そりゃ、勝てば嬉しいが、負ければ悔しいし、勝ったとしても負けた相手が悔しがっているのを見ると、なんだか申し訳ない気持ちになる。
 だから、金賞で推薦だとか、銀賞どまりだったとか、そういうのに若い人たちが笑ったり泣いたりしているのを見ると、何だか気の毒になる。そんなの気にせずにさ、のびのびと演奏できる喜びってものを噛みしめればいいのに。横浜でブラスバンドの子どもを教えていた時、ずっとそう思っていた。
 しかし一昨年、初めて部活動支援員として神戸の中学校にお邪魔した時、「あー、コンクールがないのって、なんか寂しいかも」と感じた。その年はコロナのせいでコンクールがなかったわけだが、何だか部活に活気がない。みんないい子たちだし、一生懸命練習しているのだけど、どこか上の空というか、熱中できてないというか・・・そんな感じがした。演奏の機会がまったくなかったわけではなく、感染拡大の谷間に行われた体育大会で、コンクールの自由曲として演奏するはずだった曲を披露することはできた。しかしそれでも、コンクールへとむかっていくあの熱気、演奏の精度が生徒の能力の限界まで研ぎ澄まされていく緊張感みたいなものがなくて、物足りなかった。

 中学生の部活としての吹奏楽に、コンクールは必要か?
 必要だと肯くことにも、不要だと首を振ることにも、僕はまだためらいがある。なくても、問題はないだろう。そして、それが普通になってしまえばもう、誰も疑問は感じないのかもしれない。でも、コンクールでよりよい演奏をするために力の限りを尽くす子どもたちのキラキラした姿も知っている身としては、なくてよい、とも言えない。
 我ながらおかしいと思う。以前は、コンクールなんていらないと考えていたのだから。人の考えは時とともに変わる。僕の考えを変えたのはコロナだ。パンデミックですべての時間が止まったかのようなあの一年間。その時、たまたま再び吹奏楽に関わる経験をした。それはもう、縁だったと言うしかないのだけど、その一年弱の期間に、僕のコンクール不要論は揺らいだ。
 音楽は言うまでもなく、表現である。表現の発信者は演奏家で、受け手は聴衆。
 コンクールは表現技術を審査する場であると同時に、表現の場そのものでもある。そして、ローティーンの学生の集団である部活動としての吹奏楽部にとって、おそらくはたったひとつの、身内ではない人がメインの客層になるコンサートが、コンクールである。
 学校にもよるけれど、吹奏楽部は文化祭で演奏したり地域のお祭りに呼ばれたりする。そこでのお客さんのほとんどは、同級生だったり家族だったり、その身近な関係者だ。つまり、彼らの日常の圏内で生活している人たちである。だからこの手のコンサートで彼らは、ある一定の緊張感は感じつつも、どこか「身内の集まり」みたいな甘えも残しつつ演奏にのぞむ。僕はそれを批判しているのではない。むしろ若い彼らにはそれが必要だろう。そして、身近な人の賞賛が約束されている安心感は、彼らの心身を健やかに育むだろう。
 しかし、就労可能な年齢であるハイティーンへの接続期間を生きている彼らには、それだけでは不十分だ。自分とは関わりのない大人たちの視線に晒され、容赦なく評価されるという経験をすることを、社会は求めているし、彼ら自身も無自覚のうちに自分に課している。そういう意味においてコンクールは、中学生の吹奏楽部員が、演奏家としてあるいは人間として、自立していくためのイニシエーションととらえられるかもしれない。
 中学生は成長を欲望する生き物だ。心身の外殻に残る「まだ子ども」という甘えを、「もう子どもではない」という衝動が内側から突き破ろうとしている存在だ。だから彼らは、苦しいと知りつつも、孤立無援のステージへと向かっていく。闇の虚空の中に立ち、若い体にスポットライトを浴びせらることで、虚飾を剥ぎ取られた自分を他人の視線に晒す。ホールの空間に対して憐れなほど小さく無防備な体を、彼らは自覚しないわけにはいかない。だが彼らは、この困難を乗り越えることが自分には欠かせないのだということを無意識に知っている。そこへ行くことを望んでいるのは、彼ら自身に他ならない。
 だから、やっぱりコンクールは必要なんじゃないだろうか。近頃の僕は、そう思った。迷いはある。勝負事は嫌いだから。みんな頑張ったんだから、それでいいじゃん。みんなに金賞あげてよ。でもなー、それじゃコンクールにはならないよなー。あー、もうわかんない。
 分かんないんだけど、とりあえずは、パンデミックが収束傾向にあり、世界が日常を取り戻しつつあることは喜ばしい。だから、コンクールってものがどうかってことの是非はともかくとして、ひとつでも多くの演奏機会を子どもたちが得られることは、いいことだ。平和って素敵。とにかく僕も、彼らと一緒に、演奏できる喜びを今は噛みしめていたいと思う。

 

 慢性疲労症候群の症状は、かなり改善した。ずっと僕を困らせていたブレインフォグという症状も、今処方されている抗アレルギー剤のおかげでかなりいい。疲れがたまると中学校に二時間行くのを肉体的に辛いと感じることもあるが、行けないほどひどい状態にはもうならない。無理はできないけど、ま、楽しくやろう。