笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

レゴブロック


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 末っ子の誕生日祝いに、義姉からプレゼントが届いた。段ボールを明けてみると、レゴブロックが入っていた。昔ながらのレギュラーサイズのブロックだ。子どもたちはさっそく開封して、車や家を組み立てていた。

 レゴという商品がいつからあるのか、僕はよく知らない。ただ、自分が小学生の時に、友だちの家にバケツいっぱいのレゴがあって、よく遊んだのは覚えている。その友だちは、ユーヤといった。あれだけ大量のレゴをもっている子どもは他にいなかったから、とても印象に残っている。ユーヤは基本的に、物静かな子どもだった。ユーヤが、冗談として時々奇声をあげる以外で、大声を出しているのを僕は聞いたことがない。
 僕には今、年の離れた弟がいるが、その当時はまだ一人っ子で、ユーヤもそうだった。僕もユーヤも、どちらかといえば大人しい方の子どもだったから、いつも穏やかに遊んでいた。彼と喧嘩をした記憶はない。中学校に上がるとき、彼は公立に進み、僕は私立にぶちこまれたから、それ以来しばらく会っていなかった。
 再会したのは、たしか、予備校の頃だったろうか。予備校に小学校時代の同級生がいて、彼を通して再会したのだっけ。記憶は定かではない。久しぶりに会ったとき、僕はユーヤを彼だと認識できなかった。なぜなら彼は、当時流行していたビジュアルバンドのギタリストになっていたからだ。
 構造のよく分からない、安全ピンであちこちを繕った真っ黒な衣装をまとったユーヤは、僕の知っているユーヤの印象からはほど遠かった。「ほら、ユーヤだよ」と同級生に紹介されても、ピンとこなかった。しかし、僕が訝りながら「久しぶり」みたいな挨拶をすると、照れくさそうに挨拶を返してくれた。その、昔なじみに今の姿を見られる恥ずかしさに戸惑ったような調子に、僕はやっと、それが本当にユーヤなのだという理解をすることができた。
 それから僕はユーヤのライブに誘われ、高架下のライブハウスに一度だけ行った。アマチュアバンドの対バン形式だった。僕は、ビジュアルロックの善し悪しはよくわからない。だから、彼の演奏が上出来なのか不出来なのか、僕には判断できなかった。そして、ステージ上で体を激しく揺すりながら演奏するユーヤと、レゴブロックを大人しく組み立てている子ども時代のユーヤが全然結びつかなくて、僕はただただ戸惑っていた。
 その後、少し日をおいて、彼のアパートに遊びに来るように誘われて尋ねてみたことがある。一時間ほど話しただろうか。ユーヤは今熱中しているバンドのことを話し、僕がフルートを吹いていると言うと「音楽はいいよね」みたいなことを言いながら嬉しそうに笑い、そして小さな練習用のアンプにエレキギターをつないでジンジンと音を鳴らした。僕はユーヤと話している間中、なぜか、子どもの頃に彼の部屋で一緒に遊んだバケツいっぱいのレゴブロックのことをずっと考えていた。彼の部屋を見回しても、もちろんレゴブロックはなかった。あの大量のレゴを一体どうしてしまったのだろうか。地震でどこかにいってしまったのか、それとももう遊ばなくなって捨てたか、あるいは親戚の小さな子どもにでも譲ったか・・・。

 その後、僕は横浜の大学に合格して神戸を去った。ユーヤとはそれから一度も会っていない。一度、帰省しているタイミングで突然電話をもらって、「ロイホで飯食ってるから、一緒にどう?」みたいに誘われたことがあったけど、あまりに突然だったし、用事も重なっていたので断った。それから連絡はない。僕からも、連絡はしない。ユーヤとはそれっきりだ。

 でも、子どもがレゴで遊んでいる姿を見て、久しぶりにユーヤのことを思い出した。元気でやっているだろうか。ギターはまだ弾いているだろうか。ロイホに誘われたとき、ちょっと無理をしてでも顔を出しておくべきだったのかもしれない。今では、そんな風にも思う。でもすべては、後になって思うことだ。今さらどうしようもない。