笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

指揮ってなんなのよ?

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 合奏というものが起こり、それが次第に多人数になって来た時、演奏者達は「音出し」のきっかけを何らかの手段で与えられる事を、必要とする様になった。

「【改訂新版】指揮法教程」 斎藤秀雄 音楽之友社

 

 指揮の何たるかをもう一度確認しようと思って、指揮法に関する書籍を図書館でいくつか借りた。どの本も、指揮の方法論においては斎藤秀雄の「指揮法教程」を下敷きにしており、結局どの本を読んでも、斎藤先生の原典よりもうまく指揮法なるものについて説明しているものはない。「指揮法教程」、やはり名著だ。最初にして最後であり、一にしてすべてのものである。指揮法というものの概念が根本から覆らない限り、この本が廃れることはないだろう。
 斎藤先生がこの本で教えるのは、音楽解釈の上に成り立つバトンテクニックである。その技術により指揮者は、文字通り棒一本で、音楽を自在にコントロールする。タイミングとテンポをそろえるための合図にすぎなかったはずのバトンが、音楽の意図を表現し、奏者を通して音へと還元される。このとき、バトンは音のない音楽だ。客席の暗闇を背に踊る一本の棒が、ホールのすべてを支配する。
 バトンはグラスファイバー製の王笏だ。指揮者はその王笏をふって、ミューズを従える。巨大な風を操って、時には嵐をおこし、時には凪を生じさせ。あるいは駆け抜けるバッファローの群れを、丘があれば左右に曲げ、崖の前では停止させ。さえずるツバメを、ロールさせたり、ターンさせたり。しかるべき時に、しかるべき呪法を用いれば、重い岩は砂粒のようだし、猛獣も子猫同然である。だがタイミングを見誤ってしまうと、権威を失った王はたちまち道化に堕する。

 棒を握る者の責任は重い。コンサートの最初の一音から、閉幕のアナウンスが流れるまでに発せられるすべての音楽が、一音も発しない指揮者の振る舞いにかかっている。もし一人の奏者が、「あんな棒で演奏できるか」と楽器を置いてしまえば、それさえ指揮者の責任だ。指揮者は王であると同時に奴隷である。

 ところで、長い間オーケストラなどという団体に所属していると、色々な指揮者に出会う。「こいつはすごいな!」と思う人もあれば、二度と会いたくない奴もいる。二度と会いたくないような指揮者は、まあ向こうの方でも「こんなオケに二度と来るか」と思っているのだろうけど、二度と呼ばれない。そして、どこのオケでも似たような態度でいるのだろう、どこのオケに行っても、その指揮者と会うことはない。反対に、「こんな凄い人が、なんでうちのオケなんか振ってくれたんだろう」と感じる人は、どこまでも感じよく、ただし威厳は失わず、そして意外なところで再会したりする。
 どちらのタイプの指揮者も、不思議なことに、バトンテクニックについて言えば、あまり差がない(ないわー、とこっちが頭を抱えてしまうような人が、いないわけじゃないけど)。どういう音楽を作るかによって指揮の内容は違うけど、テクニックについてだけ言えば、さすがに指揮者と名乗るだけあって、最低ラインはクリアしている。指揮者の立場でいるために必要なスキルは、結構、バトンテクニック以外のところにあるかもしれない。

 指揮って一体、なんなのよ?

 僕は、指揮者なしで演奏するオーケストラに参加したことがある。ベートーヴェンの合唱付き交響曲を演奏した。もちろん、観客を入れて、演奏会として。指揮者なしで、ちゃんと演奏できた。当たり前だ、奏者ひとりひとりがちゃんと自分なりの音楽のイメージをもっていて、かつアンサンブルとして成立させるための柔軟性と調整力をもっていれば、指揮者など必要ないのだ。演奏家なら誰でも知っている。たぶん、指揮者だって知っているだろう。
 じゃあ指揮者の存在意義とは何だろうか。ただのお飾り? 棒振り人形?
 まあね・・・全く不要だとは言わない。むしろ、若い演奏者の集まりには必要だろう、粘り強く導いてくれる指導者としての指揮者が。では、熟練した楽団には必要ないのか?
 そうだなあ、必要不可欠、とは言えないかも知れない。しかし、トッププレーヤーの集まる世界的なオーケストラといえども演奏会には指揮者をたて、指揮者とオーケストラの化学反応で聴衆を魅了していることを考えると、やっぱりいた方が楽しいと言えるかもしれない。
 要するに、調味料みたいなもんだよね。あるいは、スパイス。
 同じ野菜炒めでも、オリーブオイルで炒めればイタリア風になるし、醤油で風味付けすれば和風になるし、コチュジャンを加えれば中華風になる。
 調味料無しの料理って、あんまりおいしそうじゃないなあ。塩もコショウもふらない野菜炒めなんて、食べたくないよ。やっぱりひと味加えた方が、たいていの場合、料理はおいしくなる。
 オーケストラに、バトンで塩をひとふり、コショウを少々。それが指揮。そう言う意味においては、指揮者って言うのは料理人なのかもしれない。王様で、道化で、料理人。塩加減は料理の命。その塩梅が、指揮ってことかな。