笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

KOH-I-NOOR 5306/できるなら何してもいいってもんじゃない。

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 先だって衝動買いしたコヒノールの芯ホルダー、使い道に困っている。
 別に、無理に使わなくたっていいけど、買った以上は使いたい。目的と手段が逆転しているのはよくないことだが、僕は貧乏性なので、払った分のお金のモトはとりたいタチなのだ。何をもって「モトをとった」と言えるのかというのは感覚的なものだけど、とにかく僕が納得できるように、モトはちゃんととりたい。だから、使いたい。

 とはいえ5.6mmの芯には全然用事がないので、先だってボールペンのリフィルをプチ加工してクラッチに噛ませてみたら、具合よくはまったから、しばらくボールペンとして使用していた。もちろん、問題なく筆記できた。という訳でしばらくはそのまま使っていたけど・・・なんだろうな、やっぱり、書きやすくはないのだ。
 ボールペンのリフィルは、三菱uniのジェットストリーム。僕の好きな低粘度インクだ。ペン先は、純正の軸にセットした時と同様、よく滑る。何の問題もない。いい書き心地だ。そう、いい書き心地・・・。
 あれれ、なんだろう、おかしいな、気持ちよく書けているんだけど、妙にストレスがたまる。日記をつけたり、ちょっとメモをとったり、お絵かきしてみたり、何にでも使ってみるのだけど、何か少し、しっくりこない感覚が残る。ヘンだなあ。
 やっぱり、芯ホルダーをボールペンとして使うという方法自体が誤りだったか。そう思って、半分ほど使ったジェットストリームの芯を、もとの5.6mm芯に戻した。しかし、やっぱり太すぎるので日記だのメモだのには使えない。なので、スケッチブックに落書きするのに使ってみた。
 あ、気持ちいい。最高。
 そもそも、5.6mmの用途はスケッチやドローイングだ。ある用途に最適化された道具を、その用途のために使う。気持ちよくて当たり前である。
 文字を筆記するためのペンよりはいくらか重い軸を、振り回すようにして走らせると、思った通りの線が紙上に残る。芯を長めに出して、寝かせて擦りつけたり、立てて筆圧をかけ、濃いラインを作ったり、自由自在。僕の絵はまずいけど、お絵かき自体は好きなのだ。これ、楽しい。遊んでる場合じゃないと思いつつも、ついつい、遊んでしまった。

 そう、道具には、用途ってものがある。
 例えば、ハサミなら「切る」ことが用途なのであって、「書く」ことは用途ではない。紙を切ったり、紐を切ったり・・・それがハサミの仕事だ。ただ、緊急の場合には、ハサミはマイナスドライバーになったり、オイル缶をあけるテコになったりすることもある。その場合、一応その仕事をこなすことはできるけど、快適に作業できるとは言い難いし、失敗したり刃こぼれしたりするリスクもある。
 そして、同じ「切る」用途でも、切りたいものによって道具の仕様は少しずつ違ってくる。紙細工に使うハサミと、キッチンばさみでは、大きさも形状も違い、キッチンばさみで切り絵をするのは難しいし、工作用のハサミで魚を捌くのはほとんど不可能だ。

 筆記具にも同じ事が言えると思う。
 何を書くのかによって、どんな筆記具を使うのかが決まる。
 大量の文字を連続して書き続けるなら、僕の場合、ハード調のニブをもった万年筆が最適だ。なめらかに滑るペン先、カッチリ感のある筆記のタッチ、10mm以上の太軸と13cm程度の適度な長さ、重心が人差し指の間接の下あたりにくる重量バランス、そして20g前後の重量。これが8mm幅のノートに文字を書き続けるための僕の最適解だと思っている。
 同じ用途でも、消して訂正する必要があれば、シャーペンでもボールペンでも構わない。その時は、サイズ、重さ、バランス、タッチの条件が同じなら問題ない。
 逆に、用途が違えば、ペンが変わる。
 子どもに算数を教える時、色を切り替えながら数式や図を書くのには、多機能ボールペンがいい。必要に応じて即座に色が変えられるのは便利だ。小さなノートに小さな文字をぎっしり書くなら、細軸のペンの方が書きやすい。定規を使って図表を書くなら、製図用のシャープペンシルを選ぶ。五線紙に音符を殴り書きするなら0.9mmのシャープが楽だし、同じ楽譜でも合奏のメモを書き込むなら1.3mmで書く文字の太さと大きさが目に入りやすい。そして、スケッチブックに気持ちよく落書きするなら、5.6mmの芯ホルダーだ。

 逆に言うと、ペンが違えば、書く言葉も違ってくるんじゃないかとさえ思う。クレパスみたいなもので物語を書けば、いしいしんじみたいなお話ができあがりそうだし、マイスターシュテックの149なら昭和の大作家みたいにギラギラした小説が書けそうな気がする。

 そうそう、近頃の小説家は多分、コンピュータに直接タイプして執筆していると思うのだけど、多分中には手書きの人もいて、文章を読むと「あ、この人多分、手書きだな」とか「あー、この人は絶対パソコンだ」っていうのが、なんとなく分かる。もちろん、答え合わせをしたことはないので間違っているかもしれないが、その書き手が使っている道具によって、言葉の勢いとか量とか、息遣いとか流れ方とかが変わるのは、きっと間違いない。

 だから、文章の質を変えたかったら、道具を変えてみるっていうのは、面白いかもしれない。僕はいま大抵、紙の上でアイデアを練ったら、文章はキーボードで直接タイプするけど、高校生の頃は一度紙に全部作文した後にワープロで微調整だけしていた。昔のやり方に戻したら、高校生ぐらいの頃の作文みたいな記事ができたりするかも。今度やってみよう。

 それはさておいて、とにかく。
 もとの用途から遠く離れた作業をその道具にさせてはいけない。それが今回の教訓。


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