笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

陰翳礼賛


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 妻が、オーパで使えるブラックフライデーの割引券をどこかでもらってきて、私は使わないからあげる、と言って僕にくれた。オーパで買い物する用事など僕にもないけれど、確かジュンク堂があったはずだと思い出し、久しぶりに本でも買おうかと思って足を運んでみた。
 大量に読む方なので、本は基本的に図書館で借りて読む。しかし、手元においていつでも読めるようにしておきたい本は買うことにしている。目安、その本を図書館で三度借りたら買いだな、と決めている。古本で構わないものはブックオフなどで探すけど、状態のいいものや古本の出物が少ないものが欲しい時は、新品を買う。
 新品で、買って手元に置いておきたい本・・・割引券を使うことが前提なので探す順序が逆だが、頭の中には何冊か候補があった。文庫本などであればためらわずに買うのだけど、写真集みたいに割と高価な本はほいほい買うというわけにいかないので、余裕のあるときに買うためのリストが頭の中にある。で、角川の歳時記と谷崎潤一郎の陰翳礼賛で迷いに迷った挙げ句、今回は写真つきの「陰翳礼賛」を選んだ。

 谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」、言わずと知れた谷崎の名エッセイだ。
 谷崎潤一郎は高校生の頃によく読んだ。痴人の愛、卍、蓼食う虫・・・谷崎は文体がいい。現代口語でありながら、古風な雅味をあわせ備えている。やわらか。とろみのあるお椀をいただくような味わいだ。ちょっと詭弁じみているところもあるのだけど、言葉がぬるぬると耳に入ってくるので、気持ちよく読んでしまって、後でヤラレタと思う。しかし、そのヤラレタと思う感じも、嫌ではない。同じ事を三島由紀夫なんかにやられたら腹が立つのだろうけど、谷崎だと不思議に、腹が立たない。ちょっと狡い人なのかもしれない。

 陰翳礼賛も、僕は高校時代すでに読んだ。文庫本は捨てずに残してある(はず)。なのになぜ今になってまた買い求めたかというと、大川裕弘氏の写真が美しいからだ。
 どの写真も素晴らしいのだけど、僕が特にすごいと思うのは、金色の表現。金ってね、難しい。なかなか思うように撮れない色のひとつだ。ちょっとした光の角度や強さの加減で、簡単にとんでしまったり、表情を失ってしまったりする。しかしこの本に登場する金を撮った写真は、金泥や金糸の、濃密な色がしっかり表現されている。脱帽だ。
 他にも、塗りの食器だとか吸い物だとか、そういう撮りにくいモノの写真がたくさんある。どれも、写すべきところはきちんと写り、反射や影でぼかすべきところはちゃんとぼかしてあって、ページを繰る度にため息が出てしまう。すごい。

 写真を自分で撮るようになる以前は、写真なんてシャッターを押しさえすれば撮れるものだと思っていた。でもそうじゃないのよ、写真って。写真を一枚の絵として破綻なく調和させるために、撮り手はシャッターを切るその瞬間までに色々な判断を迫られる。機材の選択、露出の決定、光の当て方、構図、タイミング・・・。プリントする段階になって、「ああやっぱり、ああしておけばよかった」と後悔しても、もう遅い。基本、やり直しがきかないというのも写真の難しさのひとつだ。
 近頃よく、写真は俳句だなあ、と思う。正岡子規の言うところの、写生だ。目の前にある風物の、一瞬のゆらぎをそのまま切り取れば、そこに撮り手(詠み手)の気分や叙情が行間に染みこむ。切り取ったものが本当になんでもないモノだとしても、それを写真(俳句)に切り取ったのだという事実に否応なく撮り手の意図があらわれる。
 大川氏の写真も、あたかも俳句のようだ。写真をそのように見るとき、谷崎の「陰翳礼賛」が長い長い前書きのように思えてきて面白い。

 写真を見たついでに、と言っては申し訳ないが、谷崎の「陰翳礼賛」も数年ぶりに目を通した。谷崎の文体は変幻自在で、さらりと読めるものもあれば今日では難読のものもあるけれど、「陰翳礼賛」に関してはかなり素直な書きぶりのうちにはいるように思う。
 それでもやっぱり谷崎は谷崎だ、やってやがる、と笑みがこぼれた。