笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

樋口一葉「たけくらべ」

f:id:sekimogura:20220226220147j:image

 

 ・・・好いよ、己れは馴れた事だ信さんなんぞは足の裏が柔らかいから跣足で石ごろ道は歩けない、さあ此れを履いてお出で、と揃へて出す親切さ、人には疫病神のように厭はれながらも毛虫眉毛を動かして優しき詞のもれ出るぞおかしき。・・・

 

たけくらべ」 樋口一葉 岩波文庫

 

 高校生ぐらいの時に、樋口一葉の「たけくらべ」を読もうとして、あの文語調なんだかべらんめえ調なんだかの、何とも言えない文体に難儀した。高校で習う平安時代の古文とも違う、江戸時代の読み本系ともまたちょっと違う、かといって同時代の漱石や逍遙や藤村なんかとも違う、近代以降の言文一致の進んだ文体とももちろん違う、一種独特の語り口。ああこれ無理、って投げ捨てたのは懐かしい思い出だ。
 その樋口一葉を、川上未映子さんが雑誌か何かで褒めちぎっているのを読んで、久しぶりに「たけくらべ」を読んでみる気になった。数十年前に文庫本を買った記憶はあるので、本棚のどこかにあるのは確かなはずと探してはみたけれど、見当たらない。うーん、もう読まないと決めて処分してしまったかな? そういや、ベイカーの「中二階」も以前探して見当たらなかったし・・・。やっぱり、本はなるべく捨てたり売ったりしないで、とっておくべきだ。
 仕方がないので、古本屋をめぐって程度のいいものを買い直してきた。
 「廻れば大門の見返り柳いと長けれど・・・」ああこれこれ、記憶にある。高校生の時は、大門も見返り柳も分からなくて、全然ピンとこなかった。今ならこの物語が、どの時代のどんな場所の出来事を語っているのか、大門と見返り柳がいったい何を意味しているのか、やっと分かる。

 この物語を・・・どうとらえればいいかな? 群像劇? 階級闘争? ジュブナイル文学? 恋愛物語? どれとも決めきれない。全部、と言ってもいいかもしれない。だから面白い。自分がどの立場で読むのかが試されている。僕はこの物語をどのように読みたい? 
 個人的にはあえての、恋愛物語として読んでみると、かなり楽しいと思っている。表層的には、美登里と信如・正太郎の三角関係。真っ正面からスキと言えない思春期の、初心な恋が描かれている。まあこれだけでも十分、ティーン向けの少女漫画的めんどくさいラブストーリーとして通用するけど、それだけじゃ百年愛される古典にはなれない。あのね、横町の長吉が怪しい。絶対、怪しい。だって、十六話あるうちの第二話には登場しているのに、何もないわけないじゃない。彼は絶対に・・・好いてるよ。ひょっとしたら、多分だけど、信如もそれに気づいて家を出たんじゃないかな。信如の血筋に、その方面の気配があるようには書かれてないし。うん、絶対そうだ。

 どんな読み方をしたっていいのだけど、階級闘争として見るとちょっと絶望感強めで滅入るし、群像劇と呼べるほど複数の筋が入り組んでるわけでもないし、何せ「たけくらべ」だからジュブナイル的に読んだっていいんだけどそれじゃストレートすぎるし、やっぱりラブストーリーとして読むのが、個人的にはお勧めだな。

 文体が独特なので、高校生の読解力でこれを読むのはちょっとホネなのだけど、でも本当は、高校生ぐらいで読むのが一番楽しめるだろう。現代語訳はないのかな、と探してみると、一応あるらしい。
 古典の現代語訳って、もとの文体が素晴らしすぎてどうも評価されにくい傾向にあるけれど、やっぱり古い文章は現代口語のようには読めないので、もっと評価されていいと思うし、だからもっと、翻訳にチャレンジする人がいてもいいなじゃないかな。ああ、お前がやれって? うん、いいかもね。
 現代語訳とか外国文学の翻訳とか、そういうのは複数ある方がいいと僕は考えている。ほら、「グレート・ギャッツビー」と「ライ麦」は野崎訳と村上訳があるじゃない。国文学だと、「源氏物語」なんて与謝野訳と瀬戸内訳と谷崎訳の新旧と・・・まだあったっけ? こんな風にさ、翻訳はたくさんあっていいんだよ。その方が、一粒で二度三度楽しめるでしょ。

 「たけくらべ」の現代語訳、どれくらい時間かかるだろう。一年くらい? コロナで暇だからやってみるか? うーん、少し悩ませて。