笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

須磨/2022.12

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 なんとなく、年末には須磨の海を見に来るのが習慣になっている。大して忙しい毎日を送っているわけでもないのに今年も細々と予定がたてこんだ12月、気づけば年の瀬が迫っていて、あわてて手帳を開いた。そして、用事と用事の隙間に、なんとか須磨にやってくる時間をみつけた。
 遅い朝、天気は快晴。気温は高くない。しかし、明るい日差しのおかけで気持ちのいい須磨海岸を散歩できた。よし、これで年を越せる。そんな気分になった。

 

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 年末になると、一年のおさらいをしたくなる。

 2022年は、慢性疲労症候群からの回復につとめた一年だった。
 その日一日の体調と、服薬の状況の記録を振り返ると、不調と好調の時期がまだらにあって、疲労感が波のように寄せては返す様子がよく分かる。不調の波の期間は、少しずつ短くなり、夏にひとつ大波がきたのを最後に、改善傾向だ。しかし、この12月は少し強めの怠さも感じた。一日4袋を基調として服薬しているが、今月は5袋飲む日も多かった。
 薬さえ飲んでいれば通常の生活はほとんど問題ない。しかし、季節の変わり目や疲れが溜まった時には、まだ調子に不安を感じる。仕事でも何でもバリバリできる、という状態までは回復しなかったなあ。もう少し、慣らし運転を続ける必要がありそうだ。
 特別に大きな出来事のない一年だったなあ。素晴らしくいい事もなく、強烈に悪いこともなかった。小さなアクシデントやイベントはそれなりにあったけど、生きてりゃ誰にだっていつだってあるようなことばかり。
 だから、まあいい一年だったんじゃない? マイナススタートの一年だったから、ぱっとしないように感じるだけで、ガクンと調子をくずした去年に比べれば、ずっといい。
 さて、来年はどうなるかな? 体のことは、焦ってもどうにもならないので、とにかくゆっくり回復させていくしかない。それ以外のことは、体にあわせるしかない。何かやりたい、とは思うけど、とにかく体と相談だ。
 体と言えば、僕はもともと外反母趾なのだけど、近頃左足の外反が進んできたようで、時々痛みを感じる。砂浜を歩いていると、砂に足がめり込んだ時の角度によっては、ちょっと左足が痛むことがある。これ、治療した方がいいのかなあ。先だってテレビの番組で外反母趾を特集していて、手術すればよくなるらしいと知った。手術に踏み切るほど痛まないし、その勇気も今はない。とりあえず靴ぐらい変えてみるか、なんて考えている。

 体がこういう状況なので、基本、静かにすごしていた。なので、本は今年もよく読んだ。特に詩はよく読んだ。あー、いや、うーん、すごく大量に読んだかというと、ひょっとしたらそうでもないのかもしれないけど、今までほとんど読まなかったので、たくさん読んだような気分。
 詩にも色々あるけれど、今年はとにかくずっと俳句に親しんだ。角川の歳時記を毎日開いては、季語ごとに整理された名句にうなっていた。しかし、歳時記には自由律の句が少なく、そうすると僕の好きな放哉と山頭火がほとんどない。なので、歳時記とは別に放哉と山頭火の句集も買った。放哉と山頭火はいい、孤独がきいている。絶望がしみている。救われようのない自分を、何とか句にすがって保っている。頭が下がる。よくぞ句を残してくれたと思う。僕は今年、放哉と山頭火に救われた。そんな気持ちでいる。

 まとまらない一年の総まとめは、やっぱりまとまらない。読み返してみて、なってねーな、と頭をかくけど、まあいいじゃない。さよなら、2022年。


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