笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

柿本神社


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 体力をつけるために、外出できる時はなるべく出歩くようにしている。普段は近所をそぞろ歩くのだけど、いつも同じ場所を歩いていると飽きてしまう。時々は、遠出もしたい。すると問題になるのは「どこ行く?」ってこと。あまり遠くまで行く自信はまだない。でも近場の知っているところではつまらない。
 そんなことを考えながら、自宅の本棚から適当に選んだ本を眺めていた。たまたま開いたのが百人一首の本で、たまたま開いたページが柿本人麻呂の歌だった。

 あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む
 柿本人麻呂

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 この歌、懐かしい。
 中学校に上がった時に、百人一首を暗記させられた。僕は暗記がとにかく苦手で、全然覚えられなかったのだけど、なんとかかんとか覚えたのが中納言兼輔の「みかの原わきて流るる泉川いつ見きとてか恋しかるらむ」と、この人麻呂の二首だった。学校の授業で行われたカルタ大会では、他の歌を覚えていないので、とにかくこの二首だけを狙って取ったのを覚えている。そういう訳だから、そのカルタ大会の成績は98対2。ははっ。

 俳句が写生した風物に詠み手の心情をリフレクションさせるのに対して、短歌の場合ははもう少しダイレクトに詠み手の思いが詠み込まれる。しかしこの人麻呂の歌は、心情を直接に表す言葉がない。かわりに、「夜」へとかかっていく長い修飾句がひとりで過ごす夜の長さを思わせ、その分だけ「ひとり」の寂しさや人肌恋しさを強調している。
 ひとり・・・句人・放哉も「ひとり」とよく吟じた。放哉の肌を刺す「ひとり」と、人麻呂の内側からしみじみと湧いてくる「ひとり」とは質がちがう。けれども、どちらも「ひとり」。寂しいなあ。何となく、人麻呂に会いたくなった。

 そういう訳で、明石にある柿本神社へ行ってみることにした。

 最後に明石を訪れたのは三年前の夏だろうか。明石の図書館に用事があって立ち寄った。高校時代の後輩に薦められたBL系の本が神戸の図書館にはなく、明石の図書館に蔵書してあることを調べて借りに行ったのだっけ。
 柿本神社は、明石天文台の真裏にある。明石駅を北側に出て徒歩約10分。天文台の時計塔を目印に進んでいくと、鳥居が見えた。なかなか立派な鳥居だ。すぐ脇の碑には学業成就と銘打たれている。学業成就と言えば菅原道真北野天満宮のイメージだけど、人麻呂さんも学業優秀だったのかな。
 参道を上ると、天文台の時計塔がそこにそびえていて、真裏から眺められる。その向こうには明石の街が広がり、そして須磨の海、淡路島が一望の下だ。展望台のようになっている神社の前のスペースには、なぜか芭蕉の句碑。「笈の小文」に残されているタコツボの句である。ここで詠んだのだろうか。
 神社の境内は広くないが、手入れが行き届いていて気持ちが良い。柿が実をつけて、それをメジロがついばんでいた。いいね、絵になる。

 明石、久しぶりにきたけれど、いい街だと思う。東海道線が通っていて交通便利。街の規模としては大きくないけど、不足もなく、ちょうどいい。閑静。子午線の街。子育て支援もなかなかいいんだとか。確か、高校生まで医療費無償なんだっけ。引っ越したいかも。
 神戸もいい街ではある。でも、僕も歳をとってきたのか、ちょっと騒々しいよなあ、と感じることが増えた。最近は、明石とか加古川あたりに住んで、神戸には時々遊びにくるっていう生活がちょうどいいんじゃないかなんて想像することがある。そんな話をいつだったか妻にしたら、「ひとりで移住して」と突き放された。妻は、神戸の方がいいらしい。
 ひとりで・・・それはちと寂しいなあ。中年男のひとり寝は、寂しい。明石、いい所だけど、移住は当面見合わせます。


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