笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

トリスクラシック


f:id:sekimogura:20210805143038j:image

 

 この春から酒を控えている。
 それまではずっと、一日一合程度の晩酌を楽しんでいた。春先の頭痛をきっかけに、「ちょっとやめてみようか」ぐらいの気持ちで断酒を始めた。数年前から「肝臓の数字、悪いってほどでもないけど、いいとは言えないですね」と健康診断で言われ続けていたので気になっていたのだ。
 酒をやめて三ヶ月ほどした梅雨入りの頃に、僕は体を壊した。酒とは関係ない病気だ。今日明日で治る病気ではないので、日にち薬で地道に調子を戻そうとしている。亀の歩みで回復しようとする体に付き合っている僕の気分は、なかなかに鬱だ。体をあまり動かさないので、寝付きも悪い。だから、気晴らしにほんのちょっぴりだけ、また飲むことにした。
 ここ十数年、僕は日本酒党だった。その前はビール党。基本は醸造酒が好きなのだけど、欠点がふたつある。飲み始めると飲み過ぎることと、長期保存にむかないこと。ちびちび舐め続けるのに適した酒ではない。こういう時はウィスキーだ。で、スーパーの酒類コーナーに立った僕が手に取ったのは、サントリーの「トリスクラシック」だった。
 ウィスキーに関して言うと、若い頃はバーボンばかり飲んでいた。バーボンは甘くて口当たりがよく、香りにクセがない。スコッチのあの独特の香りがいいと思うようになったのは三十路も近くなった頃から。しかし、スコッチは高い。そんな話を誰かにしたら、「日本のウィスキーも悪くないよ」と薦められて、それまで見向きもしなかった国産ウィスキーを飲むようになった。それまでは「国産なんて」と根拠のない偏見をもっていたけれど、飲んでみると思ったよりずっと旨かった。
 ウィスキーは机の下に隠しておいて時々舐めるのが習慣だったけど、健康診断で肝臓の値に△がつくようになってから遠慮するようにしていた。ちょうど、ずっと飲み続けていたニッカのシングルモルトが品薄になったのもこの頃だった。それからもう7、8年もやめていただろうか。久しぶりにウィスキーの陳列棚の前に立ったが、僕の好きな余市はまだない。じゃあどれにしようかなと棚の前を行ったり来たりしていると、デザインの新しくなったトリスが目についた。
 新しくなったトリス・・・ん、トリスクラシック? よく見ると、見慣れたトリスの瓶も隣にある。ラインナップが増えたのか? そのあたりの事情はよく分からない。瓶の中身の色を比べると、トリスは薄く、トリスクラシックは濃い。別物なのは間違いないだろう。値段は、一瓶700円を切る廉価。試してみるのをためらう値段ではない。味には期待しないが、デスクに飾っておいても邪魔にはならなさそうなボトルに惹かれて、レジまで運んだ。
 帰ったらさっそくグラスに注いで舐めてみる。懐かしい味だ。大学のサークルの合宿を思い出した。良くも悪くも期待通りの味である。グラスの底に5ミリほどを、ちびちび飲んで、おしまい。これぐらいの量なら毒にはなるまい。
 ボトルは書き物机に飾ることにした。いいね、様になる。酒かっくらって血を吐きながら書き続けた文豪の気分。
 日本の酒は、瓶とラベルのデザインがいい。誰がデザインしたのか知らないけど、いいセンスをしていると思う。濃色のウイスキーが入ったやわらかい角形のボトルに黒いラベル、そこへゴールドのラインと赤のアクセント。きれいだ。クラシカルなフォントも愛らしい。酒とたばこは、デザインがよくないと売れないのだそうだ。たばこのハイライトのパッケージが初代新幹線のデザインの下敷きになったという逸話は有名である。そういえばこのトリスは、近頃はやりの高級観光列車のデザインに似ているような気もするな。

 最近は三日に一杯、酔わない程度の量のトリスを舐める。当たり前だが、中身は少しずつ減っていく。中身が減ると、なんとなくデスクの風景の一部としてトリスが馴染んでいくような気がして面白い。どれくらいの量まで減らしたら、一番しっくりくるだろうか。ちびちび、ちびちびと少しずつ舐めてベストバランスをさぐる作業が、療養で鬱な僕の最近の楽しみになっている。