笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

万年筆

 

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 試合が終わってから(その試合はヤクルトが勝ったと記憶しています)、僕は電車に乗って新宿の紀伊國屋に行って、原稿用紙と万年筆(セーラー、二千円)を買いました。当時はまだワードプロセッサもパソコンも普及していませんでしたから、手でひとつひとつ字を書くしかなかったのです。でもそこにはとても新鮮な感覚がありました。胸がわくわくしました。万年筆を使って原稿用紙に字を書くなんて、僕にとっては実に久しぶりのことだったからです。

 

「職業としての小説家」 村上春樹 新潮文庫

 

 万年筆を使うようになって、何年か経つ。
 きっかけは肩こりと腰痛だった。いやまず、そもそも、なぜ肩こりと腰痛に悩まされるようになったかといえば、僕のちょっと変わった読書の方法が原因にある。そこからまず話そう。
 僕は、本を大量に読む。もともと濫読家で、中高生の頃には浴びるように活字をむさぼった。大学進学で横浜に行くと、学生オケや研究が忙しく、読書の量は減った。就職すると読書に割ける時間はますます減った。なので、横浜に済んでいた頃は、仕事に関係する書籍以外はほとんど読めなかった。その反動がきたのか、神戸に戻ってからはまた濫読病が再発して、一番読んだ年は、積み上げた本が天井まで届いて折り返してくるほどだった。「いつか読もうと思っていた本」は、あらかた読んだと思う。メルヴィル「白鯨」とプルースト失われた時を求めて」がまだ読めていないが、高校生ぐらいの頃に「いつか必ず」と心に決めていた本のかなりの部分は、すべてのページを繰り終わった。
 いま僕は、それらの本を読み返す作業に熱中している。
 今年は、カズオ・イシグロの「私を離さないで」を春から夏にかけて読み返し、今は村上春樹ノルウェイの森」の上巻がもうすぐ終わるところだ。読み終えた文庫本を一年間に250センチ積み上げた僕が、なぜ一年かけてたった二冊の本を読み終われないのかというと、僕はそれらの本を紙に書き写しながら読むからだ。
 僕は、どちらかと言えば読むのが早い方だ。しかし、自分なりのペースで読むと、読みながら考察したり自分の考えを深めたりする時間がかけられない。そこで、読むペースを落とそうと思ったのだけれど、これが簡単なようで中々できない。何か強制的にブレーキをかける方法はないかと考えて思いついたのが、「書き写しながら読む」という方法だった。
 最初に全文を写しながら読んだのは芥川龍之介の「トロッコ」だったと記憶している。ボールペンか何かでノートに書いた。丸一日かけて読んだように思う。やってみて、これは理想的なスピードだと感じた。それから、まずは短編や詩を写し読みし、少しずつ長い作品にも挑戦するようになった。
 書く量が増えるのに伴って、僕の肩には疲労が蓄積した。大量の文字を書いてみて初めて分かったのだが、ボールペンという筆記具はかなり高い筆圧が要求される。二,三ヶ月で僕の肩は悲鳴をあげた。そもそもボールペンとは、カーボン紙を使って転写を行うことを可能とするために作られたようなものだから、力をかけて書くことが前提なのだ。僕は、まともにペンも握れないような状態に陥り、しばらく鍼灸院に通って肩を治療した。
 で、ボールペンがダメならということで鉛筆やシャープペンシルも試したのだけど、芯がすり減ると削ったりノックしたりしなければならず、そのたびに読書を中断されるのが嫌で、またボールペンに戻った。そしてまた肩を壊した。
 その頃のダメージは、今も僕の肩に残っている。疲れがたまると肩甲骨の裏側が痛むのだ。しかし、筆記不能になることはもうない。鍼灸院にも、何年も行っていない。万年筆のおかげだ。
 僕は、三十路を過ぎるまで万年筆を使ったことがなかった。そんな僕に万年筆を勧めたのは妻だ。妻と雑談していて、ボールペンを使うと肩が痛いという話をしたら、「万年筆使ってみたら? 楽に書けるよ」と教えてくれた。
 へえ、万年筆ねえ・・・。そんな風に思いながら調べてみると、えらく高価な代物だということがまず分かった。鉄ペンといわれるステンレスのペン先のものでも数千円、金のペン先をもった本格的なペンは一万円以上する。正直、ペン一本に一万円以上かける気にはなれなかった。でも、数千円ならちょっと試してみてもいいかという気になった。それなら、鍼灸院に二、三回行くのと変わらない費用だったからだ。
 最初に買ったのはパイロットのコクーン。ペン先はステンレス。安物のボールペンしか使ったことのなかった僕にとっては、それでも清水モノの買い物だった。同じ料金を出せば百均の三本セットのボールペンが一生分買える。もちろん、それを使い切った頃には僕の肩は完全に使い物にならなくなっていてもおかしくないだろうけど。説明書に従って、ペン先を外し、インクのカートリッジをさしてしばらく待つ。そして、もう染みたかな、という頃を見計らって、鈍く光るペン先を紙の上で滑らせた。
 あ、楽かも。
 どんな仕組みになっているのか分からなかったが、ボールペンみたいにペン先を紙に押しつけなくても、さらさらと線が紙上で走った。書くための力加減は、明らかに少なくて済む。肩も楽だ。三十分ぐらい、いつものように紙に書き写しながら本を読んだ。ボールペンなら、このあたりで限界がくる。けど、肩は全然痛くならない。そのまま一時間近く読書を続けたが、肩よりも先に集中力の限界がきた。
「万年筆、すごいよ。めっちゃ楽」
 僕はちょっと興奮気味に妻にそう言った。妻は「よかったね」と応えた。
 コクーンは数ヶ月使った。その間に僕は小遣いを貯めて、ついに金のペン先のついた万年筆を買った。最初に買った金のペンは、セーラーのプロムナードの中字。金の書き味は、ステンレスとは段違いだった。適度な柔らかさがあり、なめらかにペン先が走る。このペンにはコンバーターをつけ、ブルーブラックのインクを吸わせて使った。セーラーのブルーブラックは仄かに黒味を帯びていて渋い発色をする。気に入っていたのだけど、違う色も使いたくなって、パイロットのカスタム74の中字を買い足し、色彩雫の月夜を入れていた。
 万年筆に慣れると、普段使いも万年筆にしたくなって、国産三社の細字を一本ずつ買いそろえた。つまり、パイロットのカスタム742、セーラーのプロフィット21、プラチナのセンチュリー3776。この三本は、紙によって使い分けている。一番使うのはセーラーだ。中庸の紙質ならセーラーがいい。そして、つるりとしたジウリスみたいな紙にはインクフローのいいパイロット、反対に無印のルーズリーフみたいに裏抜けしやすい紙にはフローが渋めのプラチナというように使い分けている。
 万年筆は僕の生活のしっかりと溶け込んでいて、今はもう、万年筆のない生活はちょっと考えられない。たまにボールペンを手に取ると、筆圧が足りなくて線が引けない、なんてことがよくある。もちろん、必要に応じてボールペンを使うことはあるのだけど、僕の机にはインクの入った万年筆が常時2、3本用意してあって、何かを書くときにまず手が伸びるのは万年筆の方だ。
 万年筆には欠点もある。高価なこと。インクの補充をしなければならないこと。定期的な洗浄が必要なこと。正直に言って、気楽な道具ではないし、使いやすくもない。ただし、一度に大量の文字を手書きするという目的に限って言えば、こんなに優れた道具は他にないと僕は思う。
 そういう訳で、僕は万年筆を使い続けている。多分、手放すことはないだろう。

 

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