笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

クリスマス

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 自分の運命を入れ換えてもらいたいあまり、彼が最後の祈りに両手を差し上げた時、彼は幽霊の頭巾と衣が変化して来たのを見た。それはちぢみ、へたへたと小さくなり、寝台柱の一本となってしまった。

 

クリスマス・キャロル」 ディケンズ村岡花子(訳) 新潮文庫

 

 例年であれば、というのはつまり、この2020年のように世界的パンデミックに見舞われた年でなければ、僕の妻と子どもはクリスマスを東京の実家で過ごす。従って、例年であれば、僕は神戸の自宅で一人のクリスマスを迎える。そして、子どもあてのプレゼントをサンタクロースから受け取り、家族の帰宅を待ちながら一人暮らしの気楽さを楽しむ。子どもが出払っているので、サンタクロースも日暮れ前にふらっと姿を見せる。そして、僕と少し立ち話をしてから、「じゃあまた来年」と手を上げて帰って行く。でも先だってサンタクロースから連絡があって、今年にかぎっては我が家にも、通常の家庭と同じように、深夜にこっそりと配送することにしたそうだ。僕との立ち話を楽しみにしていてくれたようで、「今年は顔を見れなくて残念だ」と言っていた。僕も残念に思うけど、それが本来のサンタクロースのスタイルなのだから、仕方がない。

 僕はもちろん家族と過ごす時間が大好きだけど、学生時代から結婚までの間はずっと一人暮らしで、それはそれで気に入っていたので、たまには100%自分の裁量で行動を決められる寂しい時間が欲しいと思うこともある。
 そういう時間ができた時に何をしているかというと、楽器の練習、料理、散歩だ。
 あ、今、「大した事してねえな」って思ったでしょ? うん、それは認める。でも、僕はこの三つが大好きだし、そしてこの三つは家族がいると案外、思い通りに思う存分って訳にはいかないものなのだ。

 特に料理である。
 妻がいれば、料理は妻がしてくれる。とても有り難いことだ。いつも感謝している。不満なんてひとつもない。子どもも妻の料理が好きだ。「一番食べるやつが一番えらい」という家訓を掲げる我が家の子どもたちは、妻の料理をいつも残さず食べる。妻も、子どもがきちんと食べられるようにあれこれと工夫してくれている。
 しかし、申し訳ないが僕は贅沢者で、たまには自分で作った自分の味の料理、子ども向けでも妻の好みでもない味の料理を食べたい、と思うことがある。
 そういうわけで、いつも通りであれば、辛口のジャワカレーをじゃがいも無しで作ったり、生姜をたっぷり使った豚の角煮を煮込んだりするのが僕の年末の恒例行事なのだけど、今年はそれができない。
 そういうわけで、今年のクリスマスは僕にとって、ちょっと物足りない。

 そういえば、サンタクロースはこんなことを言っていた。
「あの、悪いんだけどさ、君向けのプレゼント、ユニクロのチノパンがいいって言ってたけど、先だってのセールで売り切れちゃったみたいで、用意できなくなったんだ。だから今年は、プレゼントなしね。ほんと申し訳ないけど。来年は奮発するから赦して」
 だってさ。ちぇっ。今年もいい子で過ごしたはずなんだけどな。