笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

第九、ニューヨークの思い出


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O Freunde, nicht diese Tone !

 

「 Symphonie Nr.9 in d-moll op.125」 L. v. Beethoven

 

 年末といえば第九、なんて微塵も思っていないくせに、街にクリスマスキャロルが流れる季節になると、無性に第九が聴きたくなる。第九とは無論、ベートーベンの合唱付交響曲のこと。
 アマチュアとはいえオケに長く関わっていると、一度ならず第九には出会う。毎年演奏するという強者もいる。僕は三度経験した。一度は在京時代の所属オケで、一度は客演で、一度はニューヨーク演奏する一発ものの日米合同オケで。毎回、ピッコロで演奏した。所属オケではフルートを吹きたいと希望したが、「えー、もぐら君はピッコロしかないよね」と相手にしてもらえなかった。ピッコロの腕前をあてにしてもらえるのは嬉しいのだけど、一度くらいフルートで参加してみたいものだ。なにせ、ピッコロは暇だから。
 暇といえば、「第九のトロンボーンは暇」というのが常識だ。指揮者はそれをちゃんと知っていて、練習では「先にトロンボーンのところからやっちゃおうか」なんて知ったフリで配慮してくれる。しかし、実はピッコロも負けず劣らず暇なのだよ、諸君。なぜかピッコロには配慮してくれない指揮者が多いけど、ね。
 もっとも、本当にピッコロのパートしか吹かないということは稀だ。何せ大曲なので、フルートの一番が体力的にしんどい。だから、総奏の部分はピッコロ奏者が一番のパートをアシストして、正規の一番フルートはその間に休む、というケースが多い。だから、本来はタチェットの一、二楽章の総奏部分もピッコロ奏者がフルートで吹く。練習にもっていく楽器が増えて面倒くさいのだが、ピッコロは小さな楽器なので、あまり大きな声で文句は言えないのが苦しいところだ。ま、いいんですよ、休楽章で暇してるよりはましだから、さ。

 それぞれにいい経験だったが、やはりニューヨークで演った第九は特に印象深い。
 所属オケの団員指揮者がセミプロのような人で、彼がニューヨークの合唱団に話をつけて、ニューヨークの合唱+現地のオケプレーヤー+日本の有志アマチュアという一発オケを企画した。僕は最初に一度声をかけられたのだけど、仕事の忙しさを理由に断った。ニューヨークへの旅程はクリアできていたのだが、日本での練習にほとんど参加できなかったからだ。しかし、ニューヨークのメンバーを合わせても奏者を確保できなかったのか、もう一度僕に声がかかったので、「日本での練習は行ける時だけでいい」という条件でうけることにした。
 パートはもちろんピッコロ。アシ(他パートのアシスタントを略して「アシ」という)のフルートあり。旅行の荷物を減らしたかったので「アシはなしにしてくれない?」と何度か頼んだのだけど、指揮者に拝み倒されてフルートも吹くことになった。僕の楽器はアメリカ製のヘインズ。思わぬ事情で一時帰国させることになった。アメリカ製品をアメリカに持ち込む場合、関税の関係で書類を書かねばならない。僕は愛用のヘインズに余計な旅費がかからぬよう書類を申請し、機上の人となった。ピッコロはドイツ製なので申請は必要なかった。そして、日付変更線を飛び越えて太平洋を渡り、ニューアーク空港に降り立つとそこは、雪嵐の東海岸だった。
 ニューヨークって、豪雪地帯だっけ?
 乗り合いバスでニューヨークの市街地に渡った僕は、交差点ごとにある雪の小山を呆然と見上げた。小山の高さは4、5メートル。ニューヨークの冬は厳しいと聞いてはいたけれど、まさかこれほどとは。後で知ったが、この年のニューヨークは数十年に一度の大雪に見舞われていたとのことだった。
 ニューヨークには一週間ほど滞在した。本番と練習以外は自由行動だったから、僕は方々歩き回った。スタテン島、エンパイアステートビル五番街、タイムズスクウェア・・・。ジュリアーニ市長の退任後間もない頃で、治安はとてもよかった。そのとき、街を歩いていて不安を感じるようなことは一度もなかった。食事はマクドナルドやサブウェイで済ませることが多かったのだけど、ファストフード店員は概ね日本と同程度かそれ以上に親切だった。そういう訳で僕のニューヨークの印象はとてもいい。チャンスがあればまた行きたいな。
 練習場所は、もちろん五番街にあるわけはなく、東京で言えば大森とか新大久保みたいな町に建つ古ぼけたビルの地下。移動は地下鉄だ。地下鉄に乗ると、アコーディオンシタール(!)を抱えたストリートミュージシャンが一緒に乗り込んできて、走る地下鉄の車内でいきなり演奏を始めるのが面白かった。乗客は、誰も彼らと目を合わせない。目が合うとチップをせびられるのだろう。僕も、目は伏せたまま、やりすごすような態度で彼らの演奏を楽しんだ。一ドルぐらいなら投げてやってもよかったと、今になって思う。

 そうそう、僕はエンパイアステートビルのエントランスのセキュリティで、僕のピッコロのレントゲン映像を見た。その話をしなければ。
 その頃は9.11があってからまだ日が浅く、治安のいいニューヨークもテロを警戒してピリピリしていた。どこに言っても持ち物の検査は厳しかった。僕は小さなビクトリノックスを携帯する習慣があるのだけど、それさえ方々で咎められそうだったから、ニューヨークでは持ち歩かなかったほどだ。
 僕は、その日の夜に練習があったので、ピッコロを持っていた。四楽章だけの練習で、フルートは不要だったので、ピッコロと楽譜と貴重品だけをバッグに入れていたのだけど、ビルに入るとき、そのバックはX線スキャンにかけられた。そして、僕のバッグの中身がモニターに映し出されるやいなや、セキュリティがざわついた。
 大柄な年配の白人と、さらに大柄な若い黒人のセキュリティが硬い表情をして僕の方に近づいてくるので、僕も緊張した。彼らは「ちょっとこっちに来い」みたいな合図を僕にしたのでついていくと、モニターの前に立たされた。そして彼らは、画面を指さし、「これは何だ?」と僕に問いただした。
 見慣れない物体が、画面に映っていた。長方形のケースに、筒状のものがふたつ入っている。筒には、いくつもの針状のものが打ち込まれ、それが何らかの部品を筒に固定しているように見えた。見ようによっては、お手製の銃器のようだ。見覚えはないが、いやでも、これは・・・? セキュリティの疑わしそうな視線が僕の頬に突き刺さっていた。僕はじっとその映像を見つめ、数秒後、やっとそれが何であるかを理解した。
「ああ、これは・・・楽器だ」
「楽器?」
 セキュリティは顔を見合わせた。
「そう、楽器。ピッコロだよ」
 セキュリティはピッコロという楽器を知らなかった。「小さなフルートだ」と説明しても首をかしげていた。
 僕は、日本からベートーベンのシンフォニーを演奏しに来ていること、そのコンサートがリバーサイド教会で数日後にあること、今夜はその練習があるのだということをセキュリティに話した。丁寧に説明するとセキュリティは納得してくれ、ほっとした表情になった。僕もほっとした。「ピッコロ、見る?」と尋ねると、若い黒人のセキュリティは「吹いてみてくれよ」と笑顔になった。でも白人の方が眉をひそめて「やめとけ」とたしなめたので、僕は彼らに演奏を披露する機会を失った。トルコマーチぐらい吹いてもよかったんだけどな。チップをせびられるとでも思ったのだろうか。
 ピッコロ吹きは世界に何万人といるだろうけど、ピッコロのレントゲン画像を見たことのあるピッコロ奏者はそう多くあるまい。これは僕の、ちょっとした自慢だ。

 現地のオーケストラメンバーとは数度リハーサルを行った。フルートは、僕ともう一人の日本人、そして現地の女性プロ奏者。1番フルートの日本の奏者はちょっとシャイな若者で、日本でのリハーサルでも僕との会話はほとんどなく、アメリカに着いてからもあまり話はしなかった。僕は2番吹きの人とカタコト英語で話した。彼女の楽器はシルバーのパウエルで、Cisトリルキィまで付いたフル装備の最新型。対する僕はEメカすら省いたおじいちゃんフルート。お互いにそれぞれの楽器が珍しく、交換して試奏した。最新鋭のフルートはイントネーションもいいし、とにかくシャープによく鳴る。「いい楽器だね」と褒めると彼女は嬉しそうだった。でも、僕の古いヘインズを彼女はお気に召さなかったらしく、少し試してすぐに「ありがとう」と返した。
「トーンホールがすごく大きいのね。私の指がはいっちゃいそう」
 彼女は僕の手元にヘインズを返しながらそう言い、愛想笑いした。そうなのだ、僕のヘインズのリングキイは、穴がやたらに大きく、とても塞ぎにくい。そうか、プロのアメリカ人が吹いても塞ぎにくいのか。
 キイの問題もあるのだが、僕は当時まだヘインズのオリジナルの頭部管を使っていて、これがまた吹きにくい。中高音はヘインズらしい甘い響きが得られるのだけど、低音域がとにかく鳴りにくくて、苦労した。今はアキヤマの頭部管を差している。秋山さんによれば、ヘインズは唄口が大きすぎるのだそうだ。今では、アキヤマのおかげで低音もぱりっとよく鳴る。ただし、あのどでかいリングキイをきちんと塞げれば、という前提条件付きだけど。

 そして、本番はリバーサイド教会。
 この会場が、とにかく「お風呂」だった。コンサート当日のリハーサルで、最初にオケで音を鳴らした時、僕と2番吹きの彼女は顔を見合わせて笑ってしまった。残響が悲劇的なまでに長かったからだ。多分、5秒以上はあったんじゃないかな。一般に、理想的なホールの残響時間が2、3秒と言われているから、その倍だ。もっとも、そもそもオーケストラのコンサートのために作られた場所ではないから仕方ないのだけど、それにしても残響が長い。
 そしてもう一つ、モニターが悪い。
 モニターが悪いというのは、音の聞こえ方のバランスが悪いという意味で、自分の音だけが聞こえて周りの音が聞こえないとか、反対に特定のパートだけの音が突出して聞こえて自分の音とのすりあわせができないとか、そういう現象が起こるため、アンサンブルができない。奏者同士で音を使ったコンタクトがとれないのである。しかも、ステージの奥行きが浅く、通常の楽器配置ができなくて、管楽器は上手側に移動させられた。僕たちの正面には弦楽器の壁ができ、コンサートマスターが見えない。
 こりゃ何か起こるぞ、という予感がした。そして、これはもう笑うしかないね、という意味で、僕と2番吹きの彼女は笑ったのだ。

 実際、事故は起きた。中プロのミサ曲の演奏が、止まってしまったのだ。曲の中程で、オケと合唱が復元不能なほどずれてしまい、やむなく演奏を一旦止めて、仕切り直した。僕はその曲には乗っていなかった(フルートのない曲だった)けど、控え室で会場の音を聞いていて、ぞっとした。多分、オケも合唱も互いの音が全然聞こえていなくて、ずれたことに気づかなかったか、あるいは「なにかおかしい」と思っても何がどの程度おかしいのか判断できなかったのだろう。
 同じことは第九でも起こりえたが、幸い、こちらは事故なく演奏を終えることができた。
 大雪で白く凍ったニューヨーク。ミュージシャンのいるAトレイン。ピッコロのレントゲン。親切なサブウェイの店員。華やかな五番街。リバーサイド教会と緊急停止した演奏。どれも思い出深い。今でも第九を聴くと、ニューヨークのことを思い出す。
 今でもニューヨークは、あの日のニューヨークと変わりないだろうか。今年はニューヨークでもコロナが猛威をふるったようだ。ニューヨークで出会った現地のミュージシャンたちの顔が脳裏にうかぶ。彼らが元気でいてくれるといいのだけど。
 ウィルスだとかパンデミックだとか・・・そんな言葉はもう聞きたくない。そのような言葉ではなく、もっとよい言葉、美しい言葉が世界に満ちあふれますように。


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