笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

「新神戸」 帰還、そして再び旅立つ

f:id:sekimogura:20191208210355j:plain

 
 
 こうして、コインが宙に投げられ、何度も何度も回転した。「表」が出たときもあったし、「裏」が出たときもあった。
 
 
 東関東大震災のあった年の夏、僕は十数年住んだ横浜から神戸に戻った。実家の事情で仕方なく戻ったのだった。気に入っていた仕事も辞めた。同じ職にもう一度就こうとしたが、色々な事態が重なって続けられなくなり、今では実家の仕事を手伝っている。
 荷物は引越のトラックに詰め込んで、僕は新横浜から妻と新幹線に乗り、新神戸で降りた。降りた瞬間、神戸はこんなに静かな街だっただろうか、と僕は思った。また、こんなに小さな街だっただろうか、とも思った。新幹線の走り去ったホームはやけに寂しく、布引山から蝉時雨が降ってくるばかりで、僕はしばらくの間、茫然としてしまった。
 これは僕の知っている神戸ではない。東京生まれの妻に僕の知っている場所を案内しているうちに、僕はその思いを深めた。センター街のアーケードは低くなったし、トアロードあたりは静かになった。若い頃に通った店にはシャッターがおりている。代わりに、繁華街のあちこちに馴染みのない地方チェーンの居酒屋やラーメン屋の看板が出ている。
 そして何より、活気がなかった。僕が神戸を離れたのは、阪神淡路大震災の三年後で、その頃、街は瓦礫を撤去する重機の騒音と新しいビルを建てるコンクリートの匂いに満ちていた。災害の傷跡はまだ深かったが、「なんとかするねん」という気合いが感じられた。今、街はすっかりきれいになって地震の痕跡など探しても見つからないほどだが、その代わりに、「どないもならんねん」というあきらめと倦怠感でどんよりと曇っていた。僕が東京や横浜の大きな街やとんでもない人混みに慣れてしまったせいかもしれないし、実際に街は行き詰まっていたのかもしれない。とにかく、神戸の街は縮こまって、寂しそうだった。
 

f:id:sekimogura:20191208210634j:plain

 
 僕の気分も、曇っていた。横浜での暮らしが気に入っていただけに、神戸での新生活は暗かった。僕が暗いからそう見えるのか、街が暗いから僕もそういう気分になるのか、とにかく、僕は日々悶々と過ごした。
 そんな僕の気持ちを打ち明けて共有する相手も、神戸にはいなかった。首都圏の友だちにはなかなか会えないし、神戸の古い友だちもたいてい、東京や大阪に出て仕事をしている。それに、新しい友だちを作る機会にも、なかなかめぐまれなかった。
 僕は趣味でアマチュアオーケストラのフルート奏者をずっと続けていたのだけれど、演奏人口の多いフルート奏者が、八十人のオーケストラにわずか二席か三席しかないフルートのポストを得ることは難しい。それでもどこかで演奏を続けたくて、関東の仲間に紹介してもらったり、自分で調べて連絡をしたりしてみたけれど、「今は空きがありません」とか「チャンスがあればこちらからお誘いします」とか、そんな返事ばかりだった。
 仕事も、こまごまと忙しく、気晴らしにちょっと遠出しようかなんて時間もなかった。時間が経つうちに、首都圏の友人とも疎遠になった。鬱々と過ごす日だけが、空しく僕の側を駆け抜けていった。
 転機は、神戸に引っ越してきて二年以上経ったある日、突然やってきた。演奏させて欲しいと頼んだたくさんのオーケストラのうちのひとつに、イチからメンバーを募集して新しく団体を立ち上げるのだというところがひとつあって、「初回の練習にはお声がけします」と約束していたけれど、その返事をもらってもう一年半も過ぎ、そんな話があったことさえ忘れていた頃にそのオケの代表から、「顔合わせをするので是非いらしてください」と連絡があったのだ。何かの冗談か、あるいは騙されているのか、疑いつつもとにかく楽器を持って指定された場所に行くと、二十人前後の人が集まっていて、ハイドンを演奏していた。僕はこのオケにすとんと収まり、彼らのうちの何人かは、神戸でできた僕の最初の新しい友人になった。
 不思議なもので、物事というのは、悪い方に転がるときはとことん悪い方に転がるが、いったん良い方に動き始めると、何事も良い方に動き出す。
 オケに乗ることが決まった頃、もうひとつ良いことがあった。それは妻のの妊娠だ。僕たちは子どもを望んでいたのだけれど、なかなか実りがなくて悩んでいた。これでできなかったらいよいよ顕微授精か、と覚悟するところまでできなかったのだが、僕がまたオーケストラを楽しみ始めた頃に、不意に産院で「おめでとうございます」と祝辞を受けた。そして、僕が新しいオーケストラで最初の演奏会のステージを踏む時には、待望の長女が生まれていた。
 

f:id:sekimogura:20191208211022j:plain

 
 事態が好転すると、気分も晴れる。神戸に戻ってすでに数年暮らし、現在の神戸の水もやっと体になじんできた。内向きだった自分の気持ちが、外に向くようになった。
 僕は、遠出はできないが、仕事や用事で神戸やその周辺のあちこちへ行く。すると、僕はあることに気づいた。僕が高校生ぐらいの頃に知っていた神戸というのは、三宮を中心とした実に狭い範囲にすぎず、この街は実はずっと大きくて、色々な場所があるのだと。高校生の時、車窓に映る風景を見ながら、いつかあそこへ行ってみたいと思っていたことを思い出した。そこには、思わぬ輝きを放つ出会いと発見が待っているような気がした。
 僕は人生の半ば、不惑を少し過ぎた年齢だ。僕と同世代の人のたいていがそうであるように、僕は肩から下ろせない日常を背負っている。ふらっと一週間、地球の裏側に行ってくるなんてことはとてもできない。けれど、仕事あがりの二三時間を、長めの散歩のつもりで、普通なら用事でもなければ行かないような路地をふらりと歩いてみるぐらいはできそうだ。ほんの数枚の小銭でまかなえる電車代とコーヒー代をポケットにしのばせて、何を探すでもなく、何を目指すでもない、短い旅なら。そう、旅だ。僕はまた旅をしたいと思っている。
 何もないかもしれない、でも何かあるかも知れない、そんな旅とは呼べないような旅を、僕は始めたい。
 

f:id:sekimogura:20191208211226j:plain