笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

今日買って、明日の本番で使えない楽器。

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 人間に霊があると同様に動物にも植物にも霊がある。そして、器物も百年を経ると霊が宿るようになり、これを付喪神という。

 

「決定版 日本妖怪大全」 水木しげる 講談社文庫

 

 他の楽器ではどうだか知らないが、管楽器には、「今日買って、明日の本番で使える楽器」というものが存在する。なんじゃそりゃ? と知らぬ方は思うだろう。これ、なんて説明すればいいだろうな・・・「弘法筆を選ばず」で例えると、これは名人であればどんな筆でも扱える、という意味だが、その逆で、どんな人が使ってもすぐに、ある程度達筆に見える筆、みたいな感じだろうか。
 その・・・楽器ってね、やっぱり慣熟期間が必要なんですよ、基本は。奏者でない人には同じように見える楽器でも、メーカーやモデルによって操作感や吹き心地が違うのは当たり前だし、同一メーカー同一モデルであっても個体差がある。なので奏者は、その楽器、その個体に慣れる必要があるわけだけど、やはり通常は数ヶ月とか数年とか、それくらいのスパンを見込んでおく必要がある。
 ただ、昨今の楽器はかなり扱いやすい設計や処理が行われていて、手に取った瞬間から吹きやすく、イントネーションも鳴りも申し分なく、使い慣れた楽器と同じように演奏することがすぐにできるものが増えてきた。こういう楽器を「今日買って、明日の本番で使える楽器」と私たち奏者は呼ぶ。
 もちろん、そういう楽器だって、十分な慣熟期間を経れば一層、奏者との一体感を高めることはできる。けど、昔の楽器ってそうじゃないんだよね・・・なんかこう、パッと手に取って吹くと「そう簡単に馴れ合ってたまるか」みたいな反応をかえしてくる楽器が多かった。いや、楽器っていうのは、そういうもんなんだよ、本当は。長い時間をかけて距離を縮めていくのが、奏者と楽器の付き合い方としては本来であり、現代の扱いやすい楽器であっても同じように接するべきだとは思う。でもね、最近の楽器はその、最初のハードルがずいぶん低いものが増えた、というのは事実だろう。
 「今日買って、明日の本番で使える楽器」は、本当に、今日買って、明日の本番で使える(買う金があるかどうかは別)。いやもはや、今日のマチネーですら問題ないかもしれない。僕の知っている範囲で言えば、ヤマハ金管楽器は保護用のビニールを剥ぎ取った瞬間からよく鳴るし、フルートだと現行のパウエルがそんな感じ。木製の楽器については、木が音と息に馴染むまで多少時間がかかるのは仕方がないようだ。なので、クラリネットファゴットは多少、じっくり育ててあげよう。でも、昔ほど強情じゃないんじゃないかな、今の楽器は。ヨーゼフのオーボエなんて、新品でもよく鳴るもんね。何か特別な加工がされているのだろうか。

 僕の楽器(fl.)は、残念ながら、「今日買って、明日の本番で使える楽器」ではない。むしろ、しばらく放っておくとへそを曲げて鳴らなくなってしまうぐらいだ。先だって、オケの本番があったので、使いやすいゴウばかり吹いていたのだけど、本番が終わったのをきっかけにヘインズを出してみたら、うんともすんともいわない。
 いやもう、「うんともすんとも・・・」っていうのが、喩えではなく、全然鳴りやがらんの。腹立つくらい。本番が済んだところなので、こちらとしては仕上がっている。鳴らせないわけはない。でも、ヘインズの野郎、そっぽ向いて、「お前のためになんか歌ってやらん」みたいな態度なんだ。それでも一週間、二週間と、なだめつすかしつ吹いているうちに、ちょっとずつ鳴ってくる。楽器ってのは本当に不思議だ。ただの金属の筒なのに、人格があるんじゃないかって時々思う。あちらとしては、「そろそろ赦してやるか」ってところなんだろうな。
 そして、オールドヘインズは鳴ってくれさえすれば本当に素晴らしい楽器で、自然に吹けば、その音が自然と音楽になる。やっぱり、楽器ってのは不思議だ。付喪神でもついてるのかな? 僕のヘインズはもう、製造から80年近くが経とうとしている。そろそろ付喪神がついてもおかしくない時期にさしかかっているのは確かだろう。まあ、メンテナンスはちゃんと定期的にやっているし、実際に使ってもいるから、つかないだろうと思ってはいるのだけど。

 今日買って、明日の本番で使ないヘインズ・・・僕は、どうしてこれを買ったんだろうなあ。でもなんか、コイツとならやれる、みたいな感覚があったんだろうね、きっと。新大久保のダクで頂いた楽器で、試奏の段階ではヘインズ黄金期と言われる3万番台後半のワンオーナー(しかもプロ)のものも候補にあったのだけど、最終的には、そっちはしっくりこなかったんだよね。その楽器も確かに、素晴らしい音色だったし、しかも僕が選んだものよりもずっと使いやすいものだった。でも・・・うーん、「なんか、違った」としか言えない。
 僕の楽器は鳴ってくると、フランク・ウェスみたいな音がする。ウォームでスモーキー。ちょっと、バロック的なやわらかさもある。ウェスの楽器は何だったんだろう? やっぱりヘインズかな? 情報がないので分からない。ウェスの音は好きだ。このヘインズを買った時にはまだ、僕はウェスのことを知らなかったけどね。

 慢性疲労症候群のせいでずっと疲労感や倦怠感があるために、ここのところ、オケの本番ではゴウばかり使っていたが、症状のコントロールがきくようになってきたので、次回はヘインズでいってみたいなあと思っている。なので、ヘインズがへそを曲げないように、トレーニングを継続したい。がんばりましょ。