笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

のり弁こそ、僕のおせち。

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 2024年が開けた。だから何ってことはないのだが、なんとなくめでたい。
 しばらくブログの記事を書いていなかったのは、年末から年始にかけてなんとなくバタバタしていたのと、演奏会が近いのでフルートの練習に時間をさいていたのが原因。この記事も、いつupするのか定かではないが、かなり遅くなるだろう。一月末までにはupしたいかな。別に誰を待たせているわけでもないのだけど、年始の話を2月まで持ち越すのは、さすがにナシだ。
 そんなことを考えながら過ごしているうちに、どんどん時間が経ちそうだったので、とりあえず須磨に行った話だけは先にupして、この記事が後回しにされている。まあ、急いで書くような事もないんだよね・・・。ゆるっとやっているブログなので、ご寛恕願いたい。
 先にお断りしておくと、この話も大したネタではない。じゃあ書かなくていいじゃん、なんて言われそうだけど、でもね、こうやって言葉をひねりだしていると、ブレインフォグの症状の程度がなんとなく見えるので、僕はそのバロメータがわりに書き続けることを自分に課している。で、書いたものを残しておいて、後で読むと、その時のフォグ度が分かって面白い。フォグっていない時には、それなりに筋の通った話になっているし、フォグっていると、グダグダだ。
 ちなみに僕の1月のフォグ度は、上旬は割と低かったけれど、中旬にドンと疲れを感じて、フォグ度もぐっと上がった(これを書いているのが阪神淡路大震災のあった日の後)。多分、演奏会にむけてフルートの練習量を増やしているせいだと思う。楽しく曲をさらっているだけなのだけど、活動量に応じてダメージを蓄積するというあたりまえの現象は、当たり前におこる。疲れがたまればフォグ度があがるのも、当たり前。当たり前の現象が当たり前におこっている、というのが僕の1月である。

 正月は、須磨に行った以外に出かけたといえば、家族で初詣に行った。
 うーん、でも、正月にやった正月らしいことと言えば、それくらいかなあ。あと・・・雑煮喰った? 他には、もう思いつかない。年賀状のやりとりもやめちゃったしね。子どもも、羽子板だの独楽だのを積極的に楽しむ年ではなくなってきて、ゲームばっかりやってるしなあ。正月に、正月らしいことをやる習慣というのを、僕たちはもう失おうとしているのかもしれない。
 おせちも食べない。そもそも、用意しない。用意してまで食べたいという気持ちもない。そして、おせちも食べないうちに、もうカレーを食べている。僕の正月は、そういう正月だ。僕が正月に食べるモノといえば、カレーのほかには、のり弁だな。ほっかほっか亭でもほっともっとでもいいのだけど、のり弁。店の正月休みが終わるなり、買いに行く。ある意味、これが僕のおせち。

 のり弁、好きなんですよ。
 のり弁の何たるかを知らぬ人は、成人男性ならほとんどいないだろうけど、のり弁を食べたことがない方のために一応、説明しよう。
 手っ取り早く言えば、お弁当チェーン店で売っている弁当の中で、一番安い弁当だ。丼物用の小さめの容器に白飯をしきつめ、その上に佃煮系の何かをまぶし、さらにその上に大きな焼き海苔をのせてご飯が見えないようにする。そして、海苔の上には白身フライや磯辺揚げのような揚げ物をトッピング。以上。
 僕の祖母だったか叔母だったか祖父だったか、忘れたのだけど、こののり弁のことをドカタ飯と呼んでいたな。弁当にも職人さんにも失礼な言い方なので僕は嫌いだ。しかし、極端なカロリー重視の食事であることは間違いない。
 塩味と脂っ気に振り切れたメシは、しかし、うまい。うまいのだ。正月からこれが食えるなんて、幸せじゃない? 三が日は弁当屋もお休みなので、年末年始の休業があけないと口にできないけど、4日、5日ぐらいならまだ正月でしょ。これが僕のおせちだ。毎年、食べている。いやあ、のり弁ウメぇな。

 この歳になるとさすがに、昔ながらのおせちも悪くないと思うようになってくるが、子どものころは好きじゃなかった。ああいうトラディショナルな味はノーサンキュー。なので、年末になると祖母の炊く黒豆の匂いがしくると、憂鬱な気分になっていたのを今でも覚えている。なんだろうな、おせちに限らず、上品な和食の「甘からい」味って、どうも苦手だ。今でも、好んで食べるものではない。甘いかからいか、どっちかにしろよっていつも思っていた。
 そんな僕だから、実家を離れておせちに向き合う必要がなくなってからは、一度も正月におせちを食べていない。幸いなことに、妻もおせちにはあまり興味がないので、標準的なおせちを食べなければならない苦悩からは遠いところにいられるのがありがたい。
 僕の子どもには、どうだろう、いわゆる「経験として」食べさせてみるのも必要かなどと悩むこともあるけど、今のところ食べさせたことはない。雑煮は食べさせている。

 僕がのり弁を食べるのは、彼らが妻の実家に正月の帰省をしているタイミングなので、僕の家族は僕がおせちの代わりにのり弁を食べているのは知らないだろうし、彼らにのり弁のおせちに付き合ってもらうこともない。オヤジが正月にのり弁食って喜んでると知ったら、なんて言うだろうなあ。息子は「いいなー、オレも喰いたい」なんて言いそうだけど、娘は嫌がるかもしれないなあ。
 昨今の一般的な中流の家庭が、おせちを食べているのかいないのか、僕は全然知らないし興味もない。うーん、でも一度くらい、家族でオリを囲んでつついてもいいかもね。のり弁をつつくと言ったら嫌がられそうだけど、子どもが子どもであるうちに、一度くらい、おせちをつついてもいいかも。
 そんなことを、のり弁かき込みながら思った正月でした。