笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

枕草子とか草

f:id:sekimogura:20230329074347j:image

 

春は曙。

 

ビギナーズ・クラシックス枕草子』 清少納言角川書店(編) 角川ソフィア文庫

 

 枕草子が嫌いだった。
 なんかね・・・気取ったものの言い方だなあ、っていう感じがして、今はそういうのが面白いなと思うのだけど、子どもの頃にはそれが鼻について仕方なく、どうしても好きになれなかった。係り結びや体言止めを多用する修辞的な書きぶりが、当時の僕にはうるさかったのだろう。

 試しに、「春は曙」で有名なあの部分を、現代語訳してみよう。僕は関西人なので、関西弁でいってみようと思う。


 春は、あ・け・ぼ・の! だんだん空が白んできて、山の際ンとこが白ーくなって、紫みたいな雲がスーッとなっとるのん!
 夏は、夜! 月の時分は当たり前やし、蛍がぶわーっとおるのは暗い時が一番! ぽっ、と光よんのがポチポチおるんもオツや。雨もええな。
 秋は、夕暮れ。夕日が「ワシもう山に沈むで」ってなりよる頃にカラスがいぬのに、三、四、二羽って具合にぴゅーって行きよるのん、うわぁってなる。ましてや、雁が並んで飛んでいって小っちゃーくなっていきよるのなんか(泣)。日が沈みきって、風がそよーっていうて、虫のリンリン鳴きよるのなんつーたら、口にしたらヤボや。
 冬は、早朝。雪の積もったのんはもちろんやし、霜でもええ感じやし、そうでなくても、「さっぶ!」いうて炭に火ぃつけて、あっちこっち配り回っとるのも、それらしくてええやん。昼になってぬくなって、炭がしろーく灰になったら、あかんけど。

 逐語的に訳すと、原文の口話的なニュアンスが現代語にできないので、可能な限り原文の意味を残しつつも、口語らしさを優先して関西弁訳してみた。ゆえに、原文の意味に忠実でない部分も多いが、でも清少納言の文体って、こういうことでしょ? 勢いやん。喉ごし味わうタイプやん。言葉の勢いなんやって、清少納言は! それも、ただスピーディなだけじゃなくて、うまく緩急をつけて叙述しているのが、うまい。そして、「おかし」「あはれなり」で描写してきて、最後に「わろし」でおとすのも笑いを誘う。
 まあ、さすが名文だよね。
 いや、名「文」というよりは、「語り」なんだろうなあ。だから、これを文章として読もうとするから、スッと入ってこない。もし当時、レコードみたいに肉声を記録する方法があったとしたら、清少納言はそうしたんじゃないかな。あるいはPodcastで音声配信したかもしれない。
 文字の弱点は、肉声の抑揚を記録できないことだ。肉声で聞けば伝わるニュアンスが、文字になおして記録することでそぎ落とされると、面白くなくなってしまうことがある。だから僕は、枕草子を好きになれなかったのかもしれない。語りは、語りとして音声で楽しむべきだ。落語みたいにね。

 ところで、当時の人たちって、この古文の通りに話してたのかな? きっとそうだろう、なんて僕は想像するのだけど、するといわゆるかな文学って、平安の言文一致運動だったと言えないだろうか。当時の書き言葉は真名(漢字)が原則で、仮名は非フォーマル、イレギュラーの扱い。それを、「やっぱさー、真名って読みにくいじゃん? 仮名で綴った方が、言葉が生き生きしてて、イイよ」って、貫之なんかは気づいたんだろうな。

 こういう古典って、オーディブルにあるのかなあ? オーディブルの契約はしていないので、聞いたことないけど、もしあるんだったら、ちょっと興味ある。どんな風に読むんだろう。おしとやかに読んでたら興ざめだね。ポップに、ロックに読んでほしいと、僕は思う。