笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

秋の気配。

 

 半夏白朮天麻湯(ハンゲビャクジュツテンマトウ)を飲み始めて一ヶ月経った。寝る前に一包飲む。調子は、いい。あれだけ悩んだブレインフォグの症状が、抗アレルギー薬のビラノアなしでも、あまり感じない。
 ただ、今年の夏が非常に暑かったのと、高校生とのステージに向けて集中的にサックスを練習したのとで、非常に疲れた。その疲れが、夏の後半に出て、薬を服用していても補いきれず、その時期だけはぐったりしていた。
 感覚としては、現状、慢性疲労症候群の症状に、根本的な改善はなく、薬で症状をカバーすることで何とか活動している、って感じかな。従って、薬で補いきれないほど症状が強かったり疲れていたりすると、生活に支障が出る。しかし、無理のない範囲で生活している限りにおいては、薬さえ飲んでいれば問題はない。

 さて、8月の後半になって、神戸の気温も少し下がってきて、蝉の声が静かになった。夕方に子どもを公園に連れ出しても、暗くなるのが以前よりずっと早い。神戸にもやっと秋がくるようだ。虫の声がするようになるのも、もうすぐだろう。有り難い。
 暑さがひいたら、何しようか。須磨の海をしばらく見ていないので、久しぶりに波の音を聴きに行きたい。それから、布引山にも、ずいぶん登っていない。暑すぎて、登る気になれなかったのだ。滝が見たいな。あとは・・・特にない。不調を避けながら、通常運転していければ、それでいい。
 通常運転・・・少しの仕事と、あとは音楽と読書と散歩。
 呑気でいい、と人はうらやましがるかもしれないが、望んでそうしているわけではなくて、それぐらいしかできないのだ。悔しい、というのが僕の思いで、別に分かってもらおうとは思わないけど、主張だけはしておきたい。

 とにかく、ブレインフォグというやつが、うっとうしい。言葉、特に文章が頭に全然入ってこないっていうのが、こんなに生活に支障をきたすとは。現代人の社会生活が、記憶と文章の理解にどれだけ依存しているかということを、慢性疲労症候群になって思い知った。
 不思議なことに、僕にとって文章というものが二種類あって、不思議とスッと頭にはいってくるタイプの文章と、そうでないタイプの文章。役所から送られてくる書類とか、何かの申請の手続きを説明する書類みたいなのは、全然頭に入ってこない。もちろん、もともと読めないわけじゃなくて、以前は読めた。でないと、社会生活が送れない。だけど今は、とても苦労しながら読む。読んで、理解したつもりでいても、油断できない、頭の中で情報が抜け落ちていたり、理解の仕方が間違っていたりして、妻に「それは違う」と怒られたりする。とても、困る。
 小説や詩のような文芸作品でも、太宰治フィッツジェラルドは読めるが、森鴎外やフォークナーは難しい。あと、ミステリーが全般にダメ。なんだろうな、物事の時系列を整理して記憶する力が落ちているのかもしれない。そういや、子どもを「こべっこランド」に連れて行った時に読む漫画「ONE PIECE」も、時間が前後するエピソードが入ると、とても混乱するのだ。何度か読み直して、やっと理解するのだけど、話の途中で「あれ、なんでこの人物は怒ってるんだっけ?」みたいに思ってページや巻を戻って確かめなければならないのは、非常にめんどくさく、確かめてもよく分からなかったりして、自分の力のなさにがっかりする。

 でもまあ、僕が患っているのは、そういう病気なのだから、仕方がない。仕方のないことを悩んでも仕方ないので、なるべく悩まないことにしている。そして、平常心で通常運転。これだけ。
 通常運転の、秋。なんでもいいから、はよ来い。今年の夏は暑すぎたぞ。