笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

慢性疲労症候群、なかなか治りませんなあ。

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 7月になってすぐ、フッと疲れが抜けたような感覚があって、慢性疲労症候群の小康期にはいったことに気づいた。この小康期、時々やってくる。辛い数ヶ月を耐えたご褒美みたいな期間だ。ちょっと、ほっとする。
 しかし、それは一瞬だけの話。生活の中で凡ミスが増え、ああこれはまたキテるな、と警戒していたら、やはり、ドンと疲れが背中にのしかかってきた。
 集中力、注意力、意欲、記憶力の低下(ブレインフォグ)がおこり、それに続いて身体的な倦怠感・疲労感の症状が現れる。身体的な症状が重い時には、頭痛がくることもあり、辛い。特別に強度の強い活動をしたとか、休息を怠ったとか、そんなことは全然ない。いつも通りに過ごしている。無理のない範囲の運動と仕事。夜も早めに休むようにしている。でも、ダメな時は何やってもダメ。しかし、何も対策をとらないと、一層ダメ。まったく、手に負えない。

 海底プレート並みの速度ではあるが、症状はマシにはなってきている。2年前に比べれば動けるし、症状のマネージメントもうまくいっていると思う。慣れたのかもしれない。逆の考え方をすると、慣れただけ、というとらえ方もできるかもしれないけど、まあそれも含めて、改善はしているかな。少なくとも、散歩中に一歩も動けなくなる、というようなことはなくなった。僕は近頃、物事はできるだけ、ポジティブにとらえるように心がけている。悪い方に考えると、キリがないからだ。良くなっているなんて、気のせいかもしれないけど、まあいいじゃん。良くなってるんだよ。

 病は気から、なんて言うけど、これは本当だね。気分がいいからって病気は良くなったりしないが、落ち込んでいると悪くなるってのは確かだと感じる。だから、物事を悪い方向に考えるのは、やめた。諦めた。「もし病気でなかったら○○できるのに・・・」っていう思考は、心身を削る。病気のせいでできないことは、どうあがいたってできないのだから、考えない。それよりは、病気でもできることのことを考える。少しの仕事、家族のこと、それから音楽と読書と散歩。

 色々なことが、全く不安でない、とは言わない。そりゃあ、不安だらけですよ。大人として恥ずかしいかぎりの生活を送っているし、先の見通しは全然もてない。けど、できねえモンはしょうがないじゃん。

 

 恥の多い生涯を送って来ました。

人間失格」 太宰治 新潮文庫

 

 慢性疲労症候群である、と診断を頂いた時に、自分の症状について散々調べ、元通りの活動ができるようになるまで数年かかると知った。知ったのだけど、何となく「いやいや、そんなわけないでしょ」という感覚があり、一年も経てば元気になっているんじゃないかと楽観していた。でも2年経ってみて、ああこれはやっぱり数年かかるのだ、という感覚が実感として身に染みてきた。
 その実感に絶望を感じるかと思ったら、でもね、不思議と、そうじゃない。その遠さ、高さに、でもなんだかかえって今は、腹が据わったというか、やってやろうじゃねえか、っていう気分でいる。消えてしまいたいという気持ちになることも、あるにはあるが、でも消えてどうなる、どうにもならんだろ、消えるくらいなら生きてやれ、と破れかぶれに闘志が燃えてきたりして、自分でもよくわからない。よくわからないのだけど、変に開き直った気分になってしまって、心配と迷惑をかけている周囲には申し訳ないと思いつつ、むしろ気持ちの上では元気だ。

 

 私が、あらかじめ印をつけておいたところより、その倍も高いところに、青い頂が、すっと見えた。おどろいた、というよりも私は、へんにくすぐったく、げらげら笑った。やっていやがる、と思った。

 

「富岳百景」 太宰治 ハルキ文庫(「走れメロス」)

 

 夏は、中学校が休み。部活はやってるみたいだけど、休む子も多いのでくる必要はない、ということらしいから、僕も休み。その間に、体の調子を戻したり、楽器を吹いたり読書したりして過ごそうと思っている。久しぶりに太宰でも読むかな。そういや、「津軽」を読んだことがない。読んでみてもいいな。