笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

中学生の望みって何だろう?

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 中学校に大人のスタッフとして出入りするようになって、4年たつ。
 中学生というのは中々、忙しい生きものだ。つねにバタバタしている。僕が関わっているのは部活だけだが、彼らは部活以外に、勉強もあれば、委員会だとか学級活動だとかもあるし、もちろん友だちづきあいや恋愛もある。特に3年生は忙しそうだ。学校のリーダーとしてどの場面でも活躍を求められるし、受験もひかえている。
 中学3年生の彼らが、どんな思いをもって、学校生活や学習にむきあっているのか、僕には知る機会がないけれど、きっとそれぞれに、何かしらの願いやめあてをもって臨んでいるのだろうと思う。部活動だってそうだ。部活で何か役をやっておけば進学で有利になる、っていう戦略をたてている子もいるだろうし、とにかく音楽が楽しくて仕方ないからここでストレス発散し、放課後は塾で勉強を頑張るっていう子もいるだろう。
 中高一貫校にいた僕は、彼らに比べるとずいぶんのんびりした生活を送っていたなあと、自分の過去を振り返って思う。あの頃、僕は何を考えて生きていただろうか。何も思わず生きていたということは当然なくて、僕には僕なりの悩みや選択があったし、それは誰でも同じ事だろう。じゃあ何考えてたの? って記憶の引き出しを開け回って、何も思い出せなくて今ちょっとびっくりしているのだけど、でも何となく、息苦しい毎日だったということだけは辛うじて思い出せる。

 時代もあるし、僕の放り込まれた学校が特にそうだったってのもあるけど、とにかく、「閉じ込められている」という感覚が強かった。
 勉強だのルールだのでがんじがらめにされて、「余計なことはせんでいい」という環境で育てられた。もちろん、はいはいそうですかと環境の要求に従っているような僕ではなくて、余計なことばかりしていた。余計なことしかしなかったと言ってもいい。勉強はしなかったし、ルールも守らなかった。今でも石川啄木だとか宮沢賢治に惹かれるのは、そういう学生時代を送ったからかもしれない。知らんけど。

 当時の僕の願いは、そうだな、何になりたいとかどこに行きたいなんて前向きな望みはひとつもなくて、ただただ、ここにいたくない、人が求めてくるようなことは何もしたくない、それだけだったような気がする。
 そういう僕だから、結局何者にもならず、何事も成し遂げずに、今日を迎えてしまった。そう思う。別に、それを悔やんではいない。でも、もしああいう環境でなかったら、ああいう学校に行っていなかったら、もうちょっと違う学生生活を送っていたら、なんてことも考えないでもない。人生に「もし」はないが、それを考えないではいられない、納得感のない学生時代ではあった。

 だから、今かかわっている子どもたちや自分の子どもには、納得感のある学生生活をしてほしいなと願う。それぞれの個性や能力の違い、家庭環境の違いもあるわけだから、全員が同じように結果を出したり何かの力を手に入れたりできないことは承知している。でも、だからこそ、今それぞれが生きている環境の中で、せめてのびのびと生きてほしいな。そして、ここにはいたくない、ではなくて、あそこに行きたい、という目標をもって、まっすぐに歩き始めてほしいな。それだけでいい、たったそれだけでいい。
 大人や社会は子どもに対して、何かを投資して育てる、ということも大事なのだけど、同じくらい、余計な壁を設けない、ということを考えてあげるべきだと、僕は思う。