笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

金管楽器のバジングにおける、息と唇の関係。

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 トランペットの練習を続けている。一ヶ月半くらい、毎日、一日30分を目安にトレーニングしている。
 僕は吹き方もトレーニングの仕方も知っているけど、だからって飛び級的に上達することはない。地道にアンブシュアの筋力をつけ、演奏のカンを磨いていく。すると、一日に30分のトレーニングの分だけ、上達する。それだけだ。すると、少しずつではあるが、毎日の積み重ねのお陰で、少しずつ唇が出来上がってきているように感じる。もちろん、まだまだ「思い通りに」ってわけにはいかない。しかし、ピストン操作で音を移動する時の追従性や、倍音をまたぐ時の反応の早さは、確実に進歩している。いい音で鳴らせる音域も広がってきた。
 トレーニングを始めた頃は、狙った音を出すために、唇を慎重にコントロールする必要があった。しかし、今では唇にさく意識の割合は減っていて、代わりに、どういう息を入れるか、ということに意識の重点を置けるようになってきた。

 金管楽器のトレーニングにおいて、息に対して従順に、素早く反応するアンブシュアを手に入れることが、上達への最短ルートである、という考えを僕はもっている。そして、そういうアンブシュアを手に入れた上で、きちんと息で歌うことができれば、いい音楽ができると信じている。
 演奏の総体を完全に分離して考えることは出来ないが、大まかなとらえ方をゆるしてもらえるならば、演奏能力は唇に依存し、音楽性はブレスコントロールに依存する、という言い方をしてもいいかもしれない。
 もちろん、演奏能力(楽器の操作や発音の能力)が、アンブシュアですべて決まる訳ではないことは承知している。音域に応じた息のスピード調節も必要だし、フィンガリングの技術向上も欠かせない。しかし、フィンガリングの速さや正確性はちょっとおいといて、発音という一点に絞って考えると、反応のよい唇を手に入れることは、演奏上の課題の多くの部分を解決、あるいは簡単にしてくれることは間違いないように思う。

 僕は、トロンボーンを吹いていた頃に、「上達したなあ」という実感を得られるまでに2年から3年の歳月を必要としたと記憶している。上達、というのがどの程度のレベルに達したことを指すのかということには色々な意見があろうが、ひとつの目安として、「M8のポップスが問題なく吹ける」というラインをおくことにしたい。そして、そのラインを越えられるのに要する期間が、僕の場合、2、3年だったというわけだ。
 やっぱり、1年では無理だったよなあ。2年ぐらい続けてやっと、M8で必要とされる音域が問題なく鳴らせるようになって、曲としてちゃんと(大人として恥ずかしくないレベルぐらいに)吹けるには3年って感じ。
 3年も練習すると、唇が息に対してダイレクトに反応し、唇に対する入力はほとんどなくて済むようになってくる。超高音域やペダルトーンなんかはちょっと別だけど、常用の音域であれば、「思い通り」に吹けるようになるってわけだ。

 逆に言うとさ、バジングに意識をとられているようではダメなんだよね。そこはもう、自動的でなければならない。
 で、逆説的なんだけど、自動的に反応する唇を手に入れるためには、初心者のうちに、徹底的に唇のコントロールの練習をしなきゃいけない、という風にも僕は思う。「この音を吹くためには、こういうアンブシュアを作って、この角度でこの太さ、このスピードの息を入れる」っていう思考と操作を、何度も何度もやる。すると、そのアンブシュアがほとんど意識なくできるようになると同時に、アンブシュアまわりの筋力が向上し、神経と筋肉が演奏に最適化されていく。

 そして、唇が仕上がってくると、息のコントロールで音域やダイナミクス、音色をつくることができるようになる。
 どの倍音で楽器を鳴らすのか、どの程度の強さで演奏するのか、それを息のスピードと太さでコントロールするのが定石だと思うが、このとき、唇への意識の入力がゼロに近ければ近いほど、演奏の精度は高い。息の入力に従って、唇は自動的に追従するのがよい、という言い方も出来るだろう。
 もちろん、金管楽器の演奏に熟達しようとする我々は、そうなることを目指してトレーニングを積み重ねるのだけど、やっぱ時間がかかるよなあ。3年・・・中学生なら、卒業のタイミングだ。まあ、中学生は中年の僕より上達が早いから、アンコンに出る2年生の冬ぐらいに、ぐっと上達して、3年の吹コンでは実力を発揮する、みたいな感じだけどね。まあ、おじさんも頑張るとしようか。