笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

金管楽器のフィンガリングになじめない。

f:id:sekimogura:20230714103244j:image

 

 金管楽器木管楽器の差異は何か。
 ひとつは発音方法だ。金管楽器はリップリード、木管楽器はそれ以外。そして、歴史的にはクロスオーバーしている部分も多いけど、それはちょっとおいといて、現代の管楽器においては、運指機構の違いが挙げられるだろう。

 一般に木管楽器が、管体にあけられたトーンホールを開閉することによって音の高さを変化させるのに対して、金管楽器はバルブによって管の長さを延長・短縮することで音高の変化を得る。バルブの機構がロータリーであるにせよピストンであるにせよ、19世紀頃にバルブが楽器に装備されるようになって以降、この方法に変化はないのではないだろうか。例外はトロンボーンだろう。トロンボーンは管の長さを変化させるのにスライドを用いる。ただこれは、スライドかバルブか、という構造上の違いだけの問題であり、管の長さを変化させることによって音階を奏するという発想自体に違いはない。
 このピストンだが、現代の金管楽器は原則、3本備えている(4本や、ごく稀に5本もあるけど)。主管で奏することのできる倍音列に対して全音下げる1番管、半音下げる2番管、1音半下げる3番管。第1倍音(ペダルトーン)を避けて、音の密集し始める第2倍音以上を中心に演奏する仕組みにくわえ、各バイパス管の組み合わせによって増4度までを半音階で刻むことができるようにすることで、広い音域をほぼ完全な半音階で演奏することができるようにできるシステムは素晴らしい。非常にシンプルであり、合理的でもあると思う。

 しかしなあ、木管楽器を吹き慣れている僕にとっては、ちょっと混乱のもとだったりもする。
 木管楽器は、開管の音響構造をもつ楽器の場合、両手を使ってキィを操作し、1オクターヴを奏する。操作に関わる指は、楽器の支持に専念する右手親指を除いた9本(ファゴットは10本全部)。だから、木管楽器の奏者が楽器を操作するイメージは、「両手を用いて、音列に沿って並んだトーンホールを開閉する」って感じ。しかし、金管楽器は、「倍音の選択(息と唇のコントロール)を行いつつ、片手だけでピストンの組み合わせを行う」という感じ。
 伝わったかなあ? この感覚を言葉で説明するのが、思ったより難しくて、今悩んでいるのだけど、要するに、金管楽器木管楽器に対して、倍音の切り替えが頻繁に発生するという点、音列に沿ったキィの開閉というよりはピストンの組み合わせという点、この二つが操作感の違いをもたらしており、基本が木管楽器奏者である僕は金管楽器を操作する際、そこに非常に違和感を感じる、という話なんだな。
 ピストンを「押す」という操作が、若干キィの操作と似た感覚をもっているのも、混乱の原因かもしれない。トロンボーンみたいに根本的に、全く違う操作系をもっている楽器だと、かえって混乱しないもん。ピストンだと、なんとなく、ないはずのキィ(ピストン)を指が探してしまって、吹きにくい。
 そうなんだよ、中途半端に似てるっていうのが、よくないよね。アンブシュアのコントロールについては、全然混乱することなんてない。だって、木管金管では、全然違うから。

 うーん、だからさ、僕みたいな奏者の場合、キィつきの管を持つ金管楽器なんてあると、馴染みやすいのかもね。古楽器だと、セルパンとかオフィクレイドみたいに音孔・キィつきの金管楽器があるけど、現代にはない。なんでなくなったんだ? やっぱり、ピストンの方が製作の手間がかからないのかなあ。残念。
 セルパン、一度吹いてみたいな。オリジナルの古楽器にこだわらなくても、現代になって新しく製作されたセルパンもあるみたいだね。それなりの値段がするので、ちょっと買ってみるかって訳にはいかないけど、チャンスがあったら吹いてみたいものだ。オフィクレイドもいいな。よく演奏される曲では、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」の序曲で必要になるのが知られているだろうか。大抵チューバで代用されると思うけど、オフィクレイドでやっている演奏も聞いてみたい。で、もし演奏の機会があったら、是非オフィクレイドで吹いてみたい。
 吹けるかな?