笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

古文法と、むきあってみる。

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 子どもだった頃、古文の勉強が、本当に嫌いだった。
 当時、中学生とか高校生とかだった訳だけど、まず、書いてある内容に興味がもてなかった。歌と恋・・・だから何なのよ? 知らんがな。そういう感じだった。なので当然、成績も振るわず、余計に嫌いになった。ちなみに、漢文も嫌いだったのだが、漢文はなぜか成績がよかったので、それほど嫌いでもなかった。

 僕が、日本の古典と呼ばれる平安期の作品に興味をもつようになったのは、大人になってから。横浜での仕事を辞めて神戸にもどってきて、時間に余裕ができた時に、ちょっと歴史のおさらいでもしてみようと本を読み出して、そのついでに記紀万葉集を開いたのがきっかけだった。平安じゃないじゃん、って話なんだけど、まずそこが僕の日本古典文学の入り口だったってことです。
 特に古事記を面白いと感じた。やっぱり、僕は物語が好きなんだ。古事記が本質的に、今日でいう物語であるかどうかはおいておいて、物語的な書物であるのは間違いないだろう。いわゆる「むかしばなし」のモチーフになっているくだりがたくさんあるし。なんで、これを高校生の時に読ませてくれなかったのかなあ、先生。源氏とか枕草子とか、実を言うと今でもあまり好きではない。すごい作品なのは確かなんだけどね。方丈記なんてマジでつまらなかった。説法くさいのは嫌いだ。あんなの、子どもが楽しめるわけないじゃない。そういや、嫌いな古文の中でも竹取物語は割と好きだったな。ああいう単純なのがいいよ。深読みすれば奧は深いけど、深読みしなくても読めるでしょ。ビギナーには、そういうのがいいんだって。

 で、読んでみると、僕も本好きなので、楽しい。最初に読んだのは角川ソフィア文庫の「ビギナーズ・クラシックス」シリーズだった。このシリーズは、古文の前に現代語訳が先に載っているのがいい。現代語でまず、内容を知ってから古文にふれる、というのが僕にはピッタリきた。面倒な文法的解釈にふれていないのもよかった。
 古文法ね・・・本当に嫌い。嫌いだった。サ変とかラ変とか、知るかっ! どうでもええわっ! って感じ。興味のもてない作品を与えられて、興味のもてない文法を教えられても、全然やる気がでない。これ読みたいって思わせてくれる作品なら、文法ももうちょっと一生懸命やったかもしれないなあ。こういう調子だから、勉強なんてする訳もなく、従って成績も伸びず、古文は一層嫌いになった。ついでに古文の先生も嫌いになった。ごめんよ、先生。

 まあとにかく、古文とか古文法とかいうものとの出会いは最悪だったわけなんだけど、でも読んでみれば案外楽しく、大人になってから古典をよく読むようになった。数年前に、角川ソフィア文庫の「ビギナーズ・クラシックス」シリーズに出会い、興味のある作品から買い進めて、全部で20冊ちょっと集めた。やっぱりね、古典って本当は面白いんだな。その面白さをまず教えてくれなかった高校には今も恨み節だ。でもそれはおいといて、ビギナーズ・クラシックスを読んだ時は当然、文法の事なんか考えず、現代語訳とコラムだけ読んだ。別にテストがあるわけでもないので、それで十分。
 で、別に今でも古典のテストがあるわけじゃないんだけど、古典を原文でも読めるようになりたい気持ちがふと湧いてきたので、気まぐれに、文法をおさらししてみる気になった。

 高校生の時に学校で交わされた古語辞典が・・・あった、あった。うわ、美しい! ちょっと埃かぶってるけど、30年近く前のものなのに、まるで刷り立ての新品! これ、一度も開いてないんじゃない? ケースまで美品だ。角なんて、全然傷んでないよ。すごいね、こんなに勉強しなかったんだ。自分でもびっくり。そりゃ、赤点しかとれないはずだわ。ひでえ。

 さて、何から読もうかと、ビギナーズ・クラシックスのピンク色の背表紙を眺め、とりあえずこの辺りからいってみるかと手に取ったのは「伊勢物語」。
 まず古文の原文をノートに写す。写す時には、間に書き込みができるように、行間を広めにとる。ノートは横向きにして、縦書きできるようにして使う。まず一節写したら、逐語的に解釈しながら、現代語訳していく。
 この方法、高校生ぐらいの時に、嫌いになった古文の先生が教えていた勉強法である。先生・・・30年経ったけど、僕、今頑張ってるよ。古文楽しいね・・・。今なら、サ変もラ変も分かる。未然形と已然形の区別もつく(こら、区別つかんかったんかい)。
 古語辞典も、多分初めて、開いた。あーいや、ビギナーズ・クラシックスを読んでいた時に、何度か開いたかな? でも、ページの紙はピンと張っている。ちょっとひきにくいけど、真新しい辞書を使うのは気持ちがいい。

 文法を勉強して、何がしたいって訳じゃないけど、それで原文が読めるならそれに越したことはない。文学はなんでも、もし可能であれば原語で読めるに越したことはないのだ。どこで誰が言っていたのか忘れたが、日本人の文学者がフランス人の文学者に「君はオオエ(大江健三郎)が原語で読めるだろう? 本当にうらやましい」と言われたことがあったそうだ。文学作品には、それが書かれた原語でなければ伝えられないニュアンスがあるというのは、間違いないことだと思う。

 そういう訳で、古典の作品を古典のまま読める能力を獲得すべく、しばらく勉強をしてみようと考えている。
 一般に、古文法といわれるものが扱うのは平安期の文章だ。日本語も時代が下るにつれて変遷があり、江戸期の言葉はまたちょっと雰囲気が違う。平安期の文法や語彙が理解できることで江戸文学までは扱えないのがちょっと残念だが、まあそれはそれでまた勉強することにしよう。戯作文学なんて楽しみだね。いつか読めるようになりたいな。