笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

湊川神社

 

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 用事があって大倉山に行き、湊川神社に寄った。
 湊川神社は「楠公(なんこう)さん」の愛称で親しまれている・・・なんて時々聞くが、実際になんこうさんと呼ぶ人に会ったことはない。僕よりも上の世代はそう呼ぶのだろうか。なぜそう呼ばれるのかと言うと、楠木正成を奉っているからだそうだ。楠木正成と言えばもちろん、日本史の授業で習うあの人。子どものころ日本史嫌いだった僕でも名前くらいは覚えている。もっとも、何せ歴史の勉強は大嫌いだったから、何した人なのかは全然覚えていないけど。
 今でこそ、教養程度の歴史はある程度身につけているが、とにかく僕は社会科、特に歴史が嫌いだった。だって、記憶力ないんだもん。
 歴史の話を聞くのは、そこまで嫌いでもなかった。じゃあ何が嫌いだったかと言うと、出来事の起こった西暦を覚えることだ。今でも覚えているのは、「いい国作ろう鎌倉幕府」の1192年ぐらいなもの。あとは、大体何世紀頃のことかぐらいは察しがつくけれど、詳しい年代には全然自信がない。今では、その出来事が何年のことだったかを覚えておいて前後関係をとらえることが大事だってのは理解できる。しかし当時はそんな風には考えなかったし、とにかく3桁ないし4桁のあの数字を丸暗記するのが嫌で仕方なかった。年号を覚えなくていいなら、子どもたちはもっと歴史を好きになると思うんだけど、そういうわけにはいかないのだろうか。
 しかし、勉強の得手不得手は人それぞれだ。
 3月のこと、吹奏楽を教えに行っている中学校の男の子が、にたにた笑いながら僕に近づいてきて「僕、学年末の社会のテストの点数よかったんですよ」と自慢した。彼は暗記が得意だそうで、歴史が中心だった学年末の社会のテストでは、ほぼ満点がとれたそうだ。じゃあ数学はどうだったの? と尋ねると、今度は頭をかきながら「ダメでした。考えるの苦手なんです」とうつむいた。暗記科目がひとつあるのも、悪いことではないのかもしれない。
 稀に、菅原道真の化身のような全方位隙なしのスーパー優等生がいるけど、どうやったらああいう風になれるのだろう。生まれつきの資質の問題なのだろうか。僕だってそれなりに努力して勉強した方だと思うのだが、暗記系の科目の勉強は全然得意にならなかった。まったく、やってられない。

 で、話は最初に戻り、楠木正成って誰なんだろうと調べてみると、南北朝時代の武将で、軍神なんだそうだ。そうか、イクサの神様か。ゲリラ戦が得意だったんだって。ふーん、僕にはあまり関係のない神様のような気がする。戦争は嫌だ。楠公には申し訳ないが、この神社があまりはやらない平和な世界であってほしい。

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