野外は真ッ闇 闇の闇
夜は劫々と更けまする
落下傘奴のノスタルヂアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
Eテレの子ども向け番組で、中原中也の「サーカス」という詩を歌詞にした歌が流れていた。「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」という擬態語か擬音語が、まるで世界を歪曲させているようにくねりくねって響くのが印象的。ああ久しぶりに中也を読みたいなと思って、実家の本棚から探してきて眺めていた。
中原中也という人、芥川を酒の席で泣かせたとか小林秀雄と女を取り合ったとか、そういうエピソードばかり聞こえてくるので何となく、破天荒で無頼なイメージがある。しかし、詩集をじっくり眺めていると、案外と、きちんと形式を守った詩が多く、実は律儀で繊細な神経の持ち主だったんではないかという気がした。
ボードレールも、詩の内容はともかく、四行連だとかソネットだとか、そういう詩のフォームを崩すことはしなかった。やっぱり、無頼なペルソナとは裏腹に案外マジメな人だったんじゃないかな。そういう点では、ボードレールと中也は似ているような気がする。
反対に、同時期を生きていた詩人、萩原朔太郎なんかは形式ということに関してはもう少し自由にアプローチしているように感じるし、宮沢賢治にいたっては形式などに頼る必要はないとばかりに、縷々と心象スケッチを綴っている。
しかし中也は、たとえスタイルをくずすことがあっても、それは土台となる形式がまずあり、そこから離れる意図があって初めて、計算ずくで形式を破損させる。だから、たとえ形式通りでない詩があっても、常に形式を意識して詩作するのが、中也だろう。
近頃は、小説はあまり読まず、詩ばかり読んでいる。詩を読むのはずっと苦手だったけど、長い時間をかけて詩を読み解く練習を続けていたら、なんとか読めるようになってきた。何事も勉強と練習だな。