笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

気分はもう戦中。

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 車に乗っている時、たまにラジオをつける。今朝、たまたまラジオのスイッチを入れたら、北朝鮮がミサイル発射をして、それが日本を飛び越えて太平洋側に落ちたと報じていた。
 またか、と思う一方で、これってなんだか、空襲警報みたいだなと感じた。
 もちろん僕は、戦後も戦後、昭和後期の生まれだから、ホンモノの空襲警報なんて聞いたことはない。でも戦中の雰囲気って、こんな感じだったのかもしれないと、僕は想像した。基本的には、色々苦しいにしても普通の日常生活があって、そこに突然、戦闘が割り込んでくる。爆撃があったりとか。で、ここに爆撃はなかったとしても、敵機来襲の警報だけはちゃんと流れて、その度に日常生活が中断される。で、しまいには、日常生活の中断さえ日常になる。

 先だって、日本における吹奏楽の歴史を調べていて、戦況がかなり逼迫してくるまではある程度普通に演奏活動が行われていたらしいと知って、結構驚いた。金管楽器は基本、金属製だから、早々に供出の対象になって、演奏なんてできなかったんじゃなかったのかなあと思っていたから。でもよくよく考えれば、出征の時には威勢よく送り出すために音楽を鳴らしたりしただろうから、お目こぼしの対象だったとしても不自然ではない。

 時々、本当にこのまま戦争になるんじゃないかなんて、ふと不安になることがある。特にウクライナの侵攻が始まってからは、その想像が全然絵空事じゃなくて、明日現実になってもおかしくない気がしている。
 そうなった時、僕はどんな行動をするだろう。子どもを疎開させたり(どこに?)、赤紙で招集されて戦地に行ったりするのだろうか。するのかもしれない。あるいは、中学生バンドを引き連れて、戦地に行く彼らの親や兄弟をマーチや軍歌の演奏で見送ったりするのかもしれない。そんなことを考えて、果たしてそれが僕に出来るだろうか、とまた不安になる。出来る気がしない。だから、不安で仕方がない。

 もちろん、そんなことがあっては困る。だから、政治の世界には外交というものがあるのであり、その外交をする職員のために税金が支払われているはずだ。外交問題、そりゃあ根本的な解決や合意に至る道筋があれば、それにこしたことはないけれど、望まない結末に至らないようにするという取り組み方もある。そこんとこ、うまくやって欲しいなと僕は願う。


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