笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

高速スイング→「流れであわせる」意識が大事

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 慢性疲労症候群のリハビリのために、中学校の吹奏楽部に遊びに行っている。その中学校の文化祭で吹奏楽部はスイングの曲をやる。アップテンポの、ビッグバンドナンバーだ。先だって竹中直人のマネをして、スイングのリズムの取り方を「うーだ↑、うーだ↑、ってやるんだよ」と教えたら、頑張って練習してくれたようで、いい感じにスイングできるようになっていた。さすが中学生、飲み込みが早い。
 tuttiの部分は、みんな肩の力が抜けていて、いい感じに甘いスイング感になっている。うん、ちょうどいい。スイングはね、テンポがあがるとだんだん、イーブンに近づいてくるんだよ。だから、それでいいんだ。そう思いながら聴いていたら、アドリブソロが、あれれ、力が入っちゃうのだろうけど無理矢理スイングしようとしすぎて、あああ、付点のリズムにきこえるぞ。ダメダメ、もっと力抜かなきゃ。もっとテキトーに、イイ感じにやんないと。

 例えばね、ムーンライトセレナーデくらいのテンポなら、三連符で割った比率でスイングするのが、まあ、クラシカルなスイングらしくてよろしい。しかし、テンポがあがるにつれて、三連符のタイムをキープするのが難しくなってくる。そして、表拍と裏拍の「長さ」の差をはっきりさせようとするあまり、付点のリズムに近づいてきて、スイングらしくなくなってしまう。
 違うのよ。そうじゃないんだって。
 クラシックでも、イベール木管五重奏「三つの小品」の一楽章なんか、速いテンポで三連符のリズムが出てくるけど、あれもほとんどイーブンで吹いて、表側にテヌートを乗せるくらいの意識でちょうどいい。で、スイングの場合だと、その「ほとんどイーブン+表拍にテヌート」に加えて、「裏拍に重心をのせる」意識があればいい。
 要は、グルーヴが成立しているかどうかなんだ。拍の長さがどうこうっていうのは実に表面的なことを言っているだけで、ほとんど何も説明していない。大事なのはタイムとグルーヴ。時間軸に対する音楽の流れと、重心の揺れ方をつかまなければ、スイングにならない。わっかるかなー?
 なんてことを考えているうちに、中学校がテスト期間に入ってしまったので、このお話はまだできていない。この話、今までに何度か違う学校でしたことがあったけど、なんだろうな、日本の中学生はマジメすぎるのか、「テキトー」っていう感じをつかんでもらえなくて、うまくいったことがない。
 問題点のひとつに、彼らはクラシックの演奏でアンサンブルする時に「点であわせる」ことだけを意識するようにしつけられているってのがあると思う。つまり、拍点を集合地点にしてアンサンブルすることしか知らないってこと。アンサンブルの方法論として、それはそれで正しいのだけど、僕はその「点であわせる」っていう方法以外に、「流れであわせる」というアンサンブルの仕方を知っておくべきだと考えている。
 「点であわせる」アンサンブルは、音符ひとつひとつの音価が正確に演奏できなくても、発音のタイミングを無理矢理矯正してミートさせることで、アンサンブルが成立している「感じ」を演出できる。しかしね・・・これは音楽ではないですよ。音楽っていうのは、時間の流れのなかでうねりながら泳ぐ生物のような存在だ。ある打点をチェックポイントとして、そこを奏者が同時に通過するというのは確かに必要なのだけど、そのチェックポイントまでをどのように進むかがバラバラでもいいってわけじゃない。その、チェックポイント、音楽のマイルストーン同士の間を、どのように進むか。その、ある時間的な距離を演奏で進むスピード感というか・・・足取りみたいなものを、きちんとそろえる。この意識、っていうか感覚? をもっているかどうか、そして「流れであわせる」ことをするかどうか、これをちゃんとやんないと、生き物としての音楽を扱えないと僕は信じる。
 なんか、よくわからない例えになってしまった。
 でも、僕の肌感覚としては、そういうこと。
 さて、テストが終わったら、生徒たちにそんな話もしてみよう。どうだろう、今度は分かってもらえるかな。この記事を読んだあなたは、分かってくれました? もし理解できたら、「こんな風に言うといいんじゃない?」って、教えてください。