笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

GUO BROTHERS


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 たまにはフルートの、楽器自体の話を。
 僕はメイン楽器以外に、サブ機を二本持っている。いや、この言い方はちょっと正確ではない。メイン楽器の他に、準メインと、サブ楽器を持っていると言うべきか。緊急用のサブ楽器はヤマハ、メイン楽器はヘインズ、そして準メインが台湾製の、ゴウブラザーズという楽器。

 ゴウブラザーズとの付き合いは長い。最初に手にしたのは大学生の頃だ。都内のフルート専門店で偶然に試奏し、一目惚れした。それから四半世紀のつき合いになる。しかし、このゴウブラザーズとは長い別離の期間があった。一度手放したのだ。しかし、ゴウブラザーズは僕の手元に帰ってきた。運命か宿命か、あるいは腐れ縁? 焼け木杭? 言い方は何でもいい。とにかく、再会したときには嬉しくてたまらなかった。そして、二度と手放すまいと誓った。やむをえなかったとはいえ、僕はゴウを手放して後悔したからだ。そしてゴウは今、僕の準メイン楽器として、本番で活躍したり日々のトレーニングのお供を務めたりしている。

 長い話になるが、お時間があればお付き合いいただきたい。

 ムラマツ吹きの大学オケの同期が楽器を新調するというので、先輩に紹介されたフルート専門店について行ったのが僕とゴウの出会いのきっかけだ。同期は高校時代から吹いていたEXが物足りなくなって、ハンドメイドクラスの楽器を探していた。楽器を買ったことのある人なら分かると思うけど、こういう時、とにかく何種類もの楽器を試奏する。おおまかな予算を店の人に伝えると、予算の前後の価格帯の商品が、時にはずらりと十本以上並ぶことも珍しくない。
 その時、試奏用に並んだ楽器は、国産のハンドメイドの新品と、舶来物の中古。同期はビンテージには興味がないと行ったのだけど、お店の人が「試奏はタダだから、まあ吹いてみてよ」みたいな感じでオールド系の楽器も出してくれた。同期は、ビンテージに興味はないという言葉の通り、古い楽器には少し触っただけで興味を失い、専ら国産ハンドメイドばかり試していた。僕は暇なので、彼が興味を示さないビンテージで遊んでいた。
 以前にも書いたことがあったが、僕はいつかオールドヘインズを手に入れたいと思っていた。そういうわけで、僕は同期の彼とは違いビンテージの銘品に憧れがあった。もちろん、その中には当然オールドヘインズもあり、そしてロット、ボンヴィル、ルブレ、ゴッドフロイ・・・ああ、いい、美しい、オールドフレンチも素敵じゃないか、ゴールデンエイジの響きのなんと輝かしいことかと、僕はうっとりしていた。
 ただし、フルート吹きなら誰でも一度は憧れる銘品は、価格も一級品だ。国産ハンドメイドの定価のはるか上空の値札。貧乏学生の僕には、とても買えない。じゃあせめて、気軽に触れられるのなら今のうちに吹けるだけ吹いておこう。同期は目もくれない年代物のフルートを、右から左へ、左から右へ、僕はとっかえひっかえ試した。
 すると、そんな僕の様子を見ていたのはその店の店員さんだった。彼もどうやらビンテージ好きらしく、この楽器はいつごろの製造でこんな楽器で、みたいな話を僕にたくさんしてくれた。で、せっかくだから一本いかが? みたいに薦められたのだけど、僕には先立つものがない。というわけで愛想笑いしながら話題を右に左にかわしていると、先方は僕の懐事情を察したようで、「じゃあこれはどう?」みたいな感じで店の奥の戸棚から一本のフルートを出してきた。
 オールドフレンチのレプリカなんですけどね、と説明されたその楽器が、ゴウブラザーズだった。

 ゴウブラザーズは、台湾のフルートメーカーだ。
 2021年現在、ゴウブラザーズのフルートといえば樹脂管である。うん、樹脂管しかない。しかし、20世紀末のゴウブラザーズは金属製のハンドメイドを作っていた。それもシルバーだけではなく、ゴールドも。
 その時、そのお店で出されたゴウは、シルバーだった。第一印象は、とにかく華奢。細いのだ。管の直径も細めだが、音孔の壁が低い上に、キィも薄い。フルートとは違う楽器を持っているような感覚さえあった。
 ディティールも凝っている。ティアドロップ型のEsキィは、まさにオールドフレンチ。スタイルはインラインリングで、H管仕様なのは現代的。驚くべきは、この華奢なつくりのくせに、アンダーキィのピンレス仕様になっていること。Eメカはない。モダンとオールドが混在する、不思議な楽器だった。肝心の音はどうかというと、繊細。抵抗感は強く、細く絞ったアンブシュアで鋼の針のような息を押し込んでいくと、ピアニッシモから緊張感のある音が立ち上がってくる。難しい。だけど、いい。ゴウは、それまでヤマハしか吹いたことのなかった僕が経験したことのない鳴り方をした。そして、全く同じというわけにはいかなかったけれど、確かにオールドフレンチに似た響きをゴウブラザーズはもっていた。
 僕がゴウを吹きながら一人でわくわくしていると、にっこり笑う店員さんと目があった。店員さんは、そういうの好きでしょ? という表情。そしてゴウの、本物のロットに比べればかなりお求めやすい価格を僕の耳元でそっとささやいた。

 即決はしなかったが、その半月後、僕はヤマハを下取りに出してそのゴウブラザーズを買った。バイトでためた貯金を全部使った。まさか僕が楽器を買うとは思わなかったらしい同期が「え、買ったの?」みたいな顔をした。ちなみに彼は、ムラマツのスタンダードの中古を買った。スタンダードというのは、当時ムラマツのハンドメイドの引き上げモデルだったADの前身だ。鳴りの太い、いい楽器だった。
 僕はスタンダードの彼と四年間、大学オケで演奏した。もちろんゴウブラザーズを使った。この楽器は残念ながらオケ向きではない。何せ、音色が繊細すぎる。鳴りが浅く、細い。そして所詮レプリカの悲しさか、本物のロットが持っている貫通力もない。それでも僕はこの楽器が好きだった。吹いていてとにかく楽しかった。
 ゴウブラザーズが、本家のロットやルブレ、ボンヴィルなんかより優れている点もある。それは、A=442Hzで設計されている点と、現代の楽器として問題のないイントネーションのよさを備えている点だ。パワーはなかったけど、ソロでもアンサンブルでも、音程のことで苦労したことはあまりない。Eメカがないために、高音域のEだけはやや高めだったけど、それも右手小指を閉じたり左手薬指をリングだけ閉じたりすれば回避できる。
 この楽器で最初に吹いた曲は、R.シュトラウスの「死と変容」だった。思い出深い曲である。そして、最後に吹いた曲はベートーヴェン交響曲第三番「英雄」だった。好きな楽器だったから、はっきり覚えている。僕は四桁の製造番号まで覚えていた。僕はそれぐらいこの楽器が好きだった。

 僕は卒業してからも、社会人オケで演奏活動を続けていた。その頃演奏していたオケのフルート仲間の楽器は、ブランネン、モダンパウエル、サンキョウ、パールと、パワーのあるものばかり。こういう楽器を使う人たちと演奏していると、さすがにゴウでは出力不足を感じた。もうちょっとパワーのある楽器が欲しい。ゴウのことは相変わらず好きだったけど、僕はそんな事を考えるようになっていた。

 そういう話を、当時の所属オケの先輩に話すと、じゃあちょっと楽器屋巡りをしようかということになった。銀座、新宿、新大久保。最後に立ち寄った百人町のお店で、今僕がメインで使っているヘインズに出会った。
 当時すでに還暦が近かった僕のヘインズは、オールドとはいえ国産ハンドメイドの新品なみの値段だった。当然、社会人数年目の僕の貯金でほいっと買える額ではない。ゴウを下取りに出し、貯金の中から払える分を払って、残りは月賦。それでも憧れのヘインズをついに手に入れて僕は嬉しかった。嬉しかったが、一抹の寂しさが残った。楽しかった学生時代、苦楽をともにしたゴウを手放すのは、なんとなく辛かったのだ。

 そして、ヘインズは文句なく素晴らしい楽器だったが、いくつか実用上の問題があった。まずピッチが低いこと。多分、設計上のピッチは440Hz以下だと思う。438Hzぐらいにチューニングするとあまり問題を感じないのだが、442Hzではデボースケール以前のヘインズが抱えている問題が顕著に出る。すると、ソロを吹く時にはあまり気にならないのだけど、周囲とアンサンブルしなければならないシチュエーションでは困ってしまう。
 繊細なアンサンブルを要求される曲をヘインズで演奏するのは、なかなか困難だった。オケのセクション練習で細かく和声のピッチを確かめるとき、曲の和声進行上、左手の音を高めにとらなければならないとき、僕は冷や汗をかいた。そしてそんなときは決まって、「イントネーションのいい現代の楽器がサブ機にほしい」と思った。そしてそのたびに、すでに手放してしまったゴウブラザーズが脳裏をかすめた。

 ある時期から僕は、真剣にサブ楽器を探し始めた。アマチュアとはいえ演奏活動をしていく上で、やはりサブ楽器はあった方がいい。メイン楽器をメンテナンスに出している間や屋外で演奏する時に、サブ楽器があると何かと便利なのだ。しかし、これぞという楽器にはなかなか巡り会えなかった。
 ある日、新宿にある大手管楽器専門店からDMが届いた。このお店からは年に一度か二度、DMが送られてくる。DMの中身はカタログで、取り扱い商品の一覧なのだけれど、新品だけではなく中古楽器のリストもあった。送られてくると僕はいつも、ざっと目を通す。おやロットの出物があるな、メーニッヒなんて珍しいぞ・・・そんな風に一通り見るといつもカタログは捨ててしまうのだけど、一本の中古フルートのところで僕は目をとめた。
 それは、シルバーのゴウブラザーズだった。
 インラインリングのH管、という表記に並んで、一部伏せ字になった製造番号が印刷されている。見えている数字は、僕がかつて所有していたゴウの製造番号と一致していた。これってもしかして。胸がざわざわした。
 少し迷ったけどいてもたってもいられなくて、その楽器店に電話した。「このゴウブラザーズの製造番号って、ひょっとして****ですか?」と質問すると、そうですという返事。僕はすぐにその楽器店に駆け込んだ。ああ、懐かしい僕のゴウ。同じ個体だ。間違いない。一度手放した楽器と再会するなんてことは、滅多にないことだ。このチャンスを逃したら、また出会うことはないだろう。僕は懐かしのゴウブラザーズをサブ楽器、いや準メインの楽器として迎えなおすことにした。

 ゴウとお別れしていた期間は10年。その間、ゴウが誰の手元にあったのかは知らないが、オリジナルとは違う頭部管が使われていたらしく、ジョイントが広げられていた。そのせいで、オリジナルの頭部管をさすと少しぐらつきがあった。しばらくそのまま使っていたのだけど、アキヤマ製の頭部管をさすことにしたので、秋山さんのところに送って調整をしてもらった。すると、ジョイントの中で管が割れていることが分かったので、そのまま秋山さんに修繕してもらった。
 アキヤマの頭部管を奢られて、ゴウは機嫌良く鳴っている。相変わらず繊細だし、パワーもオケで使うには力不足だけど、イントネーションがいいのでアンサンブルは楽だ。

 僕はもう手元にこのシルバーのゴウがあるので、新たに買う気はないけれど、現在のゴウブラザーズ社がハンドメイドの金属管フルートを作っていないのはとても残念だ。あのコンパクトなキィシステムにアンダーキィのピンレスを組み付ける技術があるのに、もったいない。
 所有はしていないが、樹脂管のゴウを試したことはある。悪くない楽器なんだけど、少なくともフルートはオケや吹奏楽では使えない気がする。音色やパワーもそうだが、キィの頼りなさが気になるのだ。ちょっと剛性不足。ピッコロは、日本のとある放送局の楽団の奏者が第九で使ったことがあったっけ。あれぐらい小さいと、キィの剛性が多少低くても問題にならないのかもしれない。

 まあそういうわけで、僕の手元にはヘインズとゴウ、それからサブ楽器にヤマハのYFL-311Ⅱがある。ヤマハの話はまだしてないなあ。それはまた今度。