笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

花隈城址


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「それは、まだはっきりとはきまっていない。まず、城がおれにどういう仕事をさせるつもりなのかを、確かめなくてはならん。たとえば、こちらの城下で仕事をすることになれば、宿もこちらにするほうが、理屈にかなっているということになるだろう。それに、城の生活がおれの性にあうかどうかも、気がかりだ。おれは、いつも窮屈なことが苦手でな」
「あなたは、お城をご存じないのです」亭主は、小声で言った。
 
「城」 フランツ・カフカ/前田敬作(訳) 新潮文庫

 

 日本史マニア、戦国時代マニアでもない限り、花隈城なんて知りもしないんじゃないだろうか。僕も、JR元町駅のあたりから山側に見える駐車場の石垣が城跡だったなんてことは、大人になってから知ったのだ。立派な石垣だなあとは思っていたけど、そうか、城跡だったのか。
 神戸は坂の街だ。そして、今は街だが、昔は坂の村だった。そして、水田や畑、住宅のための土地を水平に作りかえるために、石垣は不可欠だった。だから、神戸は石垣の街でもある。海寄りの土地はもう、土地のアップデートが何度も繰り返されたこともあって、石垣なんてほとんど見ないけど、山沿いを散歩していると、古い石垣がまだたくさん残っている。いつの時代になんのためにできたのは詳しくはしらないけど、やっぱり畑や住宅のための石垣だったろうと僕は思う。
 近年、神戸周辺では中規模クラスの城跡の観光資源としての価値が見直されているようだ。尼崎城明石城。しかしこの花隈城址は、今のところ注目を集めている様子はない。僕が神戸に戻ってきた十年ほど前に散歩でここを訪れた時の記憶と比べてみて、現在の姿に大きな変化はないように感じる。
 南側から見ると、大きな石垣が目に入り、その入口に立つとここが公園として整備されていることが分かる。東側には駐車場の入口があって、城の地下は駐車場として利用されているようだ。僕はこのあたりに車で来る用事がないので使ったことはない。城址の両サイドは勾配の急な坂になっていて、城がかなりの急斜面に建っていたことが分かる。ここは昔、海岸線から突き出した鼻になっていたらしい。とすると、海蝕崖を利用した天然の要害だったのだろう。

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 階段を上ると、あっという間にJRの高架より高いところに出る。電車の通過音が騒々しい。郭の形がはっきり残る石垣の上には、桜が植えられ、ベンチが設置されている。遊具はない。石碑がいくつかある。資材のようなものが所々に放置されていて、積極的に整備されている様子はない。おかしな表現かもしれないが、強烈な中途半端感がただよっている。ここに来て欲しいのか来て欲しくないのか。もし来て欲しいのなら誰に来て欲しいのか。全然分からない。僕が訪れた日は桜も咲き始めで中途半端だった。コロナ騒ぎのせいもあって、人影はひとつもなかった。
 四十戸ぐらいの中規模マンションならようやく建つかという程度の広さの公園をひととおり散策して、今度は北側へ降りてみる。南側よりかなり低い階段を降りると、すぐに地上にたどり着いた。かつて城下町だったであろうエリアは、住宅街になっていて、その向こうは確か県庁のある官庁街が広がっているはずだ。城下町のムードは、まるでない。
 石垣以外は何もない、もちろん本丸も櫓も門もない、それが花隈城址。華やかでもなければ、静かでもない。ないないずくしだが、でも石垣はとても立派だ。僕は城マニアではないけど、この石垣が好きというタイプの城マニアの人には見応えのある石垣なんじゃないだろうか。建城当時のものかどうかは分からないが城の北面は南側と違って野面積みになっている部分がある。これはひょっとしたら昔の石垣がそのまま残ってるんじゃないかな、なんて想像をめぐらせるのは楽しいだろう。