笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

システム手帳のリフィル/エトランジェ ディ コスタリカ


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 予備校生だった頃、スケジュール管理にミニ6穴のシステム手帳を使っていた。
 その頃の僕はわりと多忙で、予備校の講義やテスト、友だちとの約束、バイトのシフトなんかをシステム手帳にメモして管理していた。先に大学に進学した同級生や仲の良かった高校の先輩後輩なんかの連絡先なんかもアドレス帳に書き留めて記録していたんじゃないかな。当時、僕にとってその手帳は必要不可欠なものだった。
 けど、大学に進学するときに携帯を持った。すると、連絡は携帯で電話したりメールしたりするようになったので、アドレス帳は使わなくなった。約束は忘れたら携帯で確認すればいいし、学校やバイトのシフトはルーチンなので書かなくても覚えられた。だからカレンダーも使わなくなり、システム手帳はお蔵入りしてしまった。

 何年か前、実家の使っていない引き出しからそのシステム手帳が出てきた。中身のカレンダーやアドレス帳はどこか別のところにしまい込んだらしく、システム手帳のバインダーだけの状態。一年しか使わなかったので、とてもきれいだった。その時にはもう、日々のスケジュール管理はもっと小さな年ごとに買い換えの手帳を使っていたので、カレンダーとしてのシステム手帳に用はなかったけど、せっかくみつけたし、きれいだから使わないともったいない気がして、日々の雑感を殴り書きするメモ帳として復活させた。

 そのシステム手帳の規格は、ミニ6穴。
 20世紀末の若い学生が使うには十分なサイズだった。多分、当時はそれなりに需要もあったのだと思う。しかし21世紀の今日、ミニ6穴を使おうという人は少ないらしく、リフィルの選択肢が恐ろしく少ない。しかも、小さな紙切れに小さな穴が6つ開いているだけのリフィルなのに、店頭で買おうとするとA4ノート並の値段がする。最初の一個は、まあとりあえずお試しだから、高いけどとにかく買って使ってみようと思い、近所の文房具屋で買った。そしてバインダーにつめ、デスクの脇に置いた。そして、日記に書くようなことでもないが何となく書き留めておきたいと思ったことを、その都度さらさらっと殴り書きした。
 案外たくさん書いて、最初に買ったリフィルはそろそろ書き尽くそうとしている。殴り書きは時々読み返す。すると、後で読んでも面白いと思うようなことも書いてあったり、忘れかかっていた大事なアイデアをはっと思い出させたりしてくれる。なかなか楽しいし、便利だ。殴り書きメモは続けようと思い、リフィルを買い足すことした。

 しかし、所詮は殴り書きだし長期保存もしないから、なるべく廉価なものがいい、高価なものはもったいない・・・そう思いながらAmazonのページを繰っていくと、最低10個からの注文単位ながらも、安いミニ6穴リフィルをなんとか見つけた。メーカーは、エトランジェディコスタリカ。知らない会社だ。
 最低10個って、さすがにそんなにいらないけど、まあいいか、どうせ使うし腐るもんじゃないし。あー、でもなー、10個は多いよなー・・・悩みながらAmazonのページを上へ下へとスクロールする。そうしているうちに、読み込みに時間のかかっていた商品説明の画像がようやく出てきて、メーカーロゴとおぼしきマークがスマホの画面にぱっと大きく映った。

 ん? このロゴ、なんか見たことあるぞ?

 しばらく、どこで見たのか思い出せなかった。でも、絶対に見覚えがある。うーん、何だっけなと首をひねり続けて数分、やっと思い出した。昔愛用していたレターセットにこのロゴがついていた。
 僕がそのシステム手帳を使っていた学生の頃、遠くにいる知り合いと連絡をとりあう手段にはまだメールもSNSもなかった。いや、メールはあったが、僕が学生の頃というのはちょうどポケベル→PHS→携帯電話と若者の通信手段が移行していく時期だった。そして、僕は予備校生の時にPHS、大学生になってから携帯電話(IDO電話!)を使っていたのだけど、まだそういう通信機器を持っていないという友だちは少なくなかった。ちょっとした雑談や世間話をしたいと思ったとき、近所に住んでいる気兼ねのない相手なら電話で連絡したものだけど、電話の通話料の高い県外の友人なんかと緊急ではない長いやりとりをする場合、僕は彼らと手紙で連絡をとりあった。
 あの頃、僕も僕の友人も、割と筆まめだった。月に一度か二度くらい手紙を交換する相手が僕には2、3人いた。だから僕は週に一度か二度くらい、レターパッド二枚半ぐらいの手紙を書いていた。今では考えられないが、僕たちはそういう付き合い方をしていたし、そういう時代でもあったのだ。

 で、僕は自分で使う手紙に、封筒とパッドが同封されたレターセットをよく買って使った。当時、旧居留地38番感の横にレターセットをたくさん扱っているコーナーがあって、僕は季節に一度か二度そこへ行き、その度にレターセットを二三買い求めたものだ。色々なデザインのものがあったけど、シンプルなものが僕は使いやすかったので(廉価でもあった)、すっきりした色味の、柄の少ないデザインをよく選んだ。で、ある日気がついたんだ、僕の選ぶレターセットを作っている会社は、どうも全部同じらしいと。そしてそれが、エトランジェディコスタリカだったというわけだ。
 ただ、確証はない。当時使っていたレターパッドは全部友だちのところに行ってしまって、手元に残っていないからだ。ひょっとしたら違うかもしれない。でも・・・さすがにこれだけはっきり覚えているのだから、間違いないと思う。

 手紙はいつまでやりとりしただろう。大学一年の頃は、確実に手紙を書いていた。でも、勉強やサークルが忙しくなった二年からは、返事を書く時間がとれなくなって、少しずつフェードアウトしてしまったように記憶している。書き続けていればよかったなあと今では思うけれど、まあ仕方がない。今では連絡先の住所も忘れてしまった。もっとも、仮に覚えていたとしても、それは下宿しているアパートなんかの住所だったから、今ではもう引越たりしてしまっているだろうけど。
 手書きの文字でコミュニケートするという習慣が失われて久しい。今、必要があってやりとりする文字ベースのメッセージは、端末依存のフォントで表示される。それはそれで別に問題ないのだけど、手書きの文字がもっているノイズとかゆらぎみたいな、音で言えば不可聴音域の領域の情報が失われていて、なんとなく寂しい。タイプされた文字にもちゃんと声はあるんだって知っていても、やっぱりなんとなく、寂しい。
 そういや、手紙のやりとりをしていたということは、僕が一方的に手紙を出したわけではなくて、あちらからも僕のほうに手紙が届いていたはずだ。当たり前です。でも、その手紙は、どこを探しても見当たらなかった。捨てたということはないと思うのだけど。あれから僕も何度か引っ越したから、どこかのタイミングでなくしてしまったのだろうか。そうかもしれない。僕の出した方の手紙はどうなっただろう。相手は保管しているだろうか。保管しているかもしれないし、僕と同じようになくしてしまったかもしれない。しかし、もし保管していたとしたら、それは多分、エトランジェディコスタリカのレターパッドだ。

 何せ一口十個からなので、エトランジェディコスタリカのリフィルを注文するかどうかかなり迷ったが、結局注文した。数日後、Amazonからエトランジェディコスタリカのリフィルがとどいた。もちろん十個。その全部に、懐かしいあの、ポストインされる手紙をかたどったロゴがプリントされている。あはは、やっぱりこれだ、間違いない。懐かしい。このマークを見ていると、よく手紙を書いていた頃のことを思い出した。差し出した相手のことも。
 彼らは元気でやっているだろうか。元気だといいのだけど。もし連絡先が分かるようなメモでも出てきたら、また手紙を出してみてもいいな。宛先不明で戻ってきてもいいから。雲を愛する僕は、時代の異邦人だ。