笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

大学生


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 資格取得のために、京都の大学に来た。通信教育なのだけど、スクーリングに参加する必要があって、そのためにはどうしても大学のある京都に行かなければならなかった。マンボウの最中である。ひょっとしたら、延期や中止だったりオンラインに変更されたりするかな、なんて不安だったけど結局、問題なく開講された。
 僕は横浜にある公立の大学の出身だ。ちゃんと卒業したけど、資格の更新や拡充のために時々大学を訪れる機会があり、それは和歌山の大学だったり神戸の大学だったり、今回のように京都の大学だったりする。大学にはそれぞれ個性がある。たくさんの大学を訪れると、違いが見えて面白い。概して、私立大学は建物がきれいだ。それに対して公立大学は質素である。そして、キャンパスの華美さと学生のオシャレ度には、強い相関関係があるとも思う。
 僕がスクーリングに行っている期間中は、大学のオープンキャンパスが開催されていた。その大学は仏教系の中堅私立大学で、真面目そうな学生さんが多かった。案内する学生さんも見学にくる高校生も、あまりはしゃいだところがなく、どちらかと言えば物静かな感じ。服装も穏やかだし、髪を染めている人もほとんどいない。今時、髪を染めているかどうかで真面目か不真面目かなんて判断しないけど、それにしても折角の学生時代なのだからもうちょっとオシャレを楽しんでもいいんじゃないか? と思うくらい黒髪率が高く、コンサバなファッションの学生さんばかりだ。
 僕の通った大学は二流の公立大学だったから、ここと似たようなグレード感の大学だと思うのだけど、ここの学生さんに比べればまだ髪の原色率が高かったように思う。時代が違うのだろうか。それとも今時の学生はあまり髪を染めないのだろうか。繁華街を歩いていると、そうでもないように感じるのだけど。帰宅してから押し入れをひっくり返して、昔々その昔、写ルンですで撮った学生時代の写真を引っ張り出してみた。うーん、やっぱり僕たちのほうが派手だ。あ、僕も茶髪になってる。そういや一度染めたな。似合わなくてすぐやめたけど。
 学生が髪に派手な色をいれるのが、世間的に許容されるようになったのは、僕が十代後半の頃だろう。僕は一番身近な言葉で言えば就職氷河期世代だ。そしてこの世代は高校時代に、ルーズソックスやコギャルの流行を経験している。高校で茶髪はまだ少なかったが、その反動で大学生になると同時に髪を染める仲間は多かったと思う。蛍光色の髪をした友人が、大学時代には数人いた。
 今、髪の色のことを考えながらあの頃を振り返って、「好きな色にできるのは、今しかない」という感覚を僕たちは持っていたことを思い出す。つまり、学生である今のうちはショッキングピンクだろうがディープブルーだろうが好きな色に髪を染められるけど、就職して社会人になってしまったら、もう黒髪でいるしかないという感覚があった。学生ならどんなファッションだって許される。しかし、社会に出たらそうはいかない。仮にサラリーマンとして一般企業に就職するなら、一年目は野暮な紺のスーツに太めのネクタイを身につけるのが常識、リュックとスニーカーは御法度。髪が黒いのは当たり前で、ピアスなんか付けて出社したら首が飛ぶ・・・。
 身の回りの大人を見回してみて、今は服装や髪の色についてそうやかましくもなくなったなあと感じる。茶髪ならかなり明るくても女性なら許容されるし、あまり華美でなければピアスも問題ない。業種によるだろうけど男性だって、ジャケパンスタイルはもう普通だし、リュックを背負ってクロスバイクで颯爽と出社なんて、「エコで健康的、素敵じゃない」って具合だ。
 うーん、だから察するに今の学生さんは、「この格好は今しかできない」っていう感覚が僕たちの学生時代に比べて弱いんじゃないかな。それはきっと、いいことだ。社会がファッションの多様性に対してより寛容になっている証だと思う。でもそのせいでかえって、若者がファッションの選択肢を自分で狭めているのだとしたら、あまりにも皮肉だ。

 別に無理して突飛な格好をしなくてもいいけれど、もうちょっと刺激的なファッションに挑戦してもいいんじゃない? なんて、中年のおじさんは思いながら、短い大学生活を楽しんだ。最終日の帰り際、大学のキャンパスの中で、羽織を着て番傘を持った学生さんを見た。彼はその格好のまま大学を出て、バスに乗り込んだ。いいじゃない! あの格好で会社に行ったら、さすがに上司から呼び出されるだろうなあ。でも、若いんだからそうこなくっちゃ。若者には、おじさんの常識が通用しない突飛さと反抗心を常に持っていて欲しいと、黒髪に白いメッシュが自然と入るようになってきた僕は考えるのだ。