笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

四条河原町


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 京都に行くと知ったら妻は「八つ橋買ってきて」と僕に要求した。八つ橋ぐらい神戸でも買えるけど、逆にいつでも買えるからこそ、普段は口にしない。オーケー、いいだろう、八つ橋を買ってきてやろうじゃないか。ところが、京都の大学と自宅の往復の経路には、八つ橋を扱う店がひとつもなかった。八つ橋なんて、神戸でも買えるぐらいなのだから、京都ならコンビニでだって売ってるだろうと思い込んでいた僕は甘かった。そうか、京都人だって八つ橋ぐらいいつでも手に入るから、逆にコンビニなんかじゃ扱わないのか。
 京都に通っている間、阪急京都線の大宮駅を中継し、そこでバスに乗り継いでいた。もちろん帰りも大宮駅で乗り換えていたのだけど、その大宮駅周辺で八つ橋が手に入らないと分かり、一日だけ、帰り道に四条河原町へ寄った。

 四条河原町に来るのは、実に20年ぶりになる。
 バスを降りるなり僕は、「うわ、懐かしい!」と目を丸くした。バスの行き先表示が電子化されたこと以外にはほとんど違いがわからないほど、風景が昔と変わらない。もちろん、お店や看板は少しずつ変わっているのだろうが、全体に青緑がかった色彩感は昔のままだ。人混みがすごいのも昔のまま、道路がタクシーとバスで混雑しているのも昔のまま。マンボウが聞いてあきれる。せっかく来たので川の方まで歩いたけど、川の土手にカップルが等間隔で並ぶ風景まで昔のままだ。
 以前、四条河原町に来たのは大学時代、予備校の友人と会うためだった。
 京都に来た目的がなんだったのかは思い出せない。ただ、彼女と京都駅で会って、四条河原町まで歩いたことだけは覚えている。あれ、四条河原町から京都駅まで歩いたんだったかな? そこの記憶もあいまい。だけどとにかく、僕が帰省で関西にいるタイミングで彼女に連絡をとったら「じゃあ京都で会おう」という話になって、京都で会うことになったのは確か。彼女の方に何か、京都で済まさなければならない用事があったのかもしれない。
 せっかく京都に来たというのに、神社やお寺を観光するでもなく、ただ雑談しながら京都の市街地を彼女と歩いた。冬だったように思う。せっかくここまで来たのだから、八坂神社や知恩院でも見ればよかったのに、見なかった。僕と彼女は、予備校時代の思い出話や大学生活のことをおしゃべりしながら、京都らしからぬオフィスビルの谷間を歩いただけだった。なぜなら、僕と彼女の目的は「久しぶりに会うこと」であり、京都観光ではなかったからだ。
 でも確かその時も、彼女が「家族にお土産を買う」と言うので、四条河原町のお店をいくつか回った。彼女が八つ橋を買ったかどうかは覚えていないが、扇子か何か、そんなものを買ったように記憶している。僕には家族に土産物を買って帰るという習慣がなかったので、僕は買わなかった。今も基本的には、頼まれでもしない限り旅行で土産物は買わない。荷物が増えるし、数をそろえるとそれなりの額になる上に、渡してもそんなに有り難がられないからである。
 でも今回はしっかり頼まれてしまった。僕も引き受けた以上、買って帰らないわけにはいかない。今は携帯で何でも調べられるので、四条河原町へ向かうバスの中で八つ橋の手に入りそうな場所を探しておいた。井筒と聖護院の路面店があるようだ。デパートで買うなら神戸で買うのと変わらないと思って、わざわざ路面店の前まで行ったのだけど、生憎、どちらも休業中だった。仕方なく、高島屋の地下で井筒と聖護院の両方の生八つ橋を買いそろえて帰った。

 久しぶりに食べた八つ橋はおいしかった。近頃は色々な味付けの八つ橋がある。いちご味とレモン味の八つ橋を買って帰ったら、僕の家族はレモン味が気に入ったようだった。たしかに美味い。生地の肉桂の香りとレモンの甘酸っぱさの組み合わせは、意外にもナイスコンビ。子どもはややイエローがかった生地の八つ橋を頬張りながら、「また買ってきて」と僕に言った。
 この味付けの八つ橋、いつからあるんだろう。昔はこういうの、なかった。20年前はまだ、生八つ橋さえ一般的じゃなかったんじゃないかな。こういうのがあったら、僕も土産物を買って帰る習慣を身につけていたかも知れない。久々の四条河原町、印象は以前とほとんど変わらないように見えたけど、案外、進化しているのかも。今度ここに来るのがいつかは分からないけど、何か面白い味の八つ橋があるといいな。ぜひ、おいしくて意外性のある八つ橋を期待したい。


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