笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

プロメナ神戸


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 この建物、昔はオーガスタプラザといったように記憶している。いつの間にか名称がプロメナ神戸に変わっていた。上階には温泉施設があるようだが、利用したことはない。一度行ってみたいなあという気持ちはあるのだけど、温泉を浴びた後にどんな顔をして地上に降りてくればいいのかよくわからなくて、二の足を踏んでいる。だって、ひとっ風呂浴びてサッパリして、ほかほかしながらエレベーターを降りたら、umieなんでしょ? うーん、僕の中でどうしても、umieと温泉が結びつかない。

 ちなみに僕は、温泉は大好きだ。別に、いわゆる温泉地の温泉宿でなくてもいい。なんなら温泉じゃなくて銭湯でもいい。いい、っていうか、銭湯も好きだ。町場の小さな銭湯も好きだし、スーパー銭湯みたいなどでかいのもいい。ただ、そこから出てすぐにumieみたいな繁華街っていうのは、うーん、僕的にはちょっと・・・。僕の頭が硬いだけかもしれないが、でも、お風呂と繁華街、僕の中でどうしてもつながらないのだ。

 それは、オーチャードホールと渋谷の関係にも似ている。
 いや、全く個人的なことで申し訳ないのだけど、先だってプロメナ神戸の中を通ったときに、ふとそんなことを考えたのだ。

 僕は学生時代からアマチュアオケのフルート奏者として演奏を続けている。大学卒業が間近に迫って、社会人になったら社会人オケに入らなきゃなあなんて考えていた頃、同じ大学の卒業生の先輩に声をかけられて、その先輩の所属しているオケの演奏に参加した。その演奏会場がBunkamuraオーチャードホールだった。
 当時横浜に住んでいたので、都内のホールにコンサートを聴きに行く機会もあったが、オーチャードには縁がなくて、その社会人オケの演奏会にプレイヤーとして参加したのが、オーチャードを訪れた最初の機会だった。
 社会人オケなので、演奏は休日。休日の朝の渋谷というのは、なかなかに壮絶だ。宴の後というか・・・カラスはわんさと飛び交っているし、あちこちに残飯のぎっしりつまったゴミ袋が山積みになっている。そういう渋谷を、楽器を背負ってホールへ向かう。到底モーツァルトだとかベートーヴェンだとかとは結びつかない休日の朝の渋谷、道玄坂を上って、ホールへ向かう。
 しかし、ホールに一歩踏み込めばそこはもう、音楽の世界だ。カラスの鳴き声からも、スクランブル交差点の雑踏からも隔離されたグラスウールの城。午前中はリハーサル、そして午後は本番。その日の演目は確か、マーラー交響曲第二番だったと思う。「復活」だ。マーラーらしい重厚さの感じられる、名曲である。濁世における葛藤で始まった音楽は、終楽章で浄化され、昇天する。美しい。アマチュアのコンサートの常として、演奏会は成功裏に終わり、終演後はホワイエでレセプション。そして、ケータリングの料理がなくなる頃には、とっくに落日している時刻だ。

 いまだマーラーの余韻にひたりながら荷物をまとめて、さあ帰ろうと勝手口からホールを出ると、そこは渋谷の雑踏。人の声、足音、ロードノイズ、信号の誘導音、店の呼び込み、街宣車、そして得体の知れぬ音、音、音。渋谷の谷底に沈殿した騒音という騒音が、一度に僕を包み込む。なんだこれ! たとえでも何でもなく、僕は耳をふさいだ。ホールの中と外、そのあまりの落差に、すぐにはなじめない。ホールの中で味わったマーラーの深い深い沈黙とその中での安息、そして今ホールの外に放り出されて感じる、あまりにも雑然とした渋谷の混沌。落差が、ありすぎる。

 別に、渋谷が悪いんじゃない。僕は渋谷の街を嫌いじゃなかった。学生時代はよくタワレコに行ったし、就職してからは渋谷で電車の乗り換えがあったために、寄り道して飲むことも多かった。
 しかし、ホールで楽しむ音楽の世界と、渋谷の街の騒音は、ちょっとあまりにも差が激しくて、けっこうショックを受けたものだ。同じ渋谷でもNHKホールなら駅から遠いので、音楽の余韻を楽しむ余地があるのだけど、オーチャードは出てすぐに道玄坂だから、余韻もへったくれもない。渋谷公会堂もそうだ。ホールを出た瞬間に、あの渋谷。そういや渋谷公会堂で演奏したこともあったな。音楽の世界から一瞬で渋谷の騒音に引き戻される感じが、何だろう、嫌だとは言わないけれど、「ちょっと待ってよ」って感じなのだ。

 まあ演目にもよるのだろうけど、とにかく、渋谷とマーラーは、ちょっと相性がよろしくない。で、渋谷でマーラーを演奏したり聴いたりするのは仕方ないとしても、その間に、ワンクッション欲しい。タケミツメモリアルと新宿ぐらいの距離は、あって欲しい。渋谷とオーチャードには、その距離がない。間にワンクッションがない。

 プロメナの温泉が、中でどんな風になっているのか知らないけど、あの建物のエレベーターをたまに、ほかほかした人たちが降りてくるのを見かけるので、間にワンクッションある構造や距離感にはなっていないのだろうと思う。別に気にしないという人にはどうでもいい話かもしれないが、僕としてはちょっと、「あー、温泉きもちよかったなあ」と一息つく隙間時間がほしいのだ。