笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

語り継ぐ


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 今年も神戸は1.17を迎えた。26年目らしい。もうそんなに経ったのか。
 今年はコロナのせいでこんな状況だから、追悼式典もないのかと危惧していたが、なんとか実施できたようだ。三宮に用事があって出かけたついでに東遊園地に寄った。例年よりは人出が少ないように感じる。それがコロナのせいなのか、もう26年も経ってしまったせいなのかは分からない。ここに集まる人の数も、年々減り続けているのは間違いないだろうから。
 毎年、竹製の灯籠でグラウンドいっぱいに文字を描くのだが、今年はコロナの影響でその竹筒の準備ができなかったらしい。代わりに、紙か薄いプラスチックか分からないのだけど、別の素材でできた灯籠が用意されていた。
 僕は阪神淡路大震災を直に経験した世代だ。僕の実家は断層の真上にある。あのときは興奮状態で何も考えられなかったが、今になって、よく生きていたものだなんて思うことがある。そういう人はたくさんいるだろう。生と死はいつも紙一重だ。
 吹奏楽を教えに行っている中学校では、17日が日曜なので、前倒しして金曜日に防災教育をやっていた。もちろん、地震を経験していない世代だ。彼らは、地震のあった日のことを聞いて何を思うのだろう。歴史の教科書に出てくる出来事のひとつぐらいに感じるのだろうか。たとえそうだとしても、別に僕は彼らを責めはしない。経験しなくては理解できないことがあるのだ。

 語り継ぐ。
 それは一見、徒労にも思える行為だ。しかし、そうではない。
 東北出身の友だちがいて、彼女の実家は津波に襲われた地域にあったそうだ。しかし、彼女の実家は高台の上にあり、津波の被害は免れた。その地域では、彼女の実家の建っているところより海に近いところに家を建ててはいけないという言い伝えがあったらしい。海抜の低いエリアは波にのまれたが、彼女の実家は無事だった。言い伝えに従って高台に家を建てたのは彼女の祖父だそうだ。言い伝えられた箴言と、箴言を重んじる気持ちが彼女の実家を守ったのは間違いないだろう。

 僕も、大災害と言われる災厄に何度か見舞われた。もし僕に何か警句めいたことを語り伝える資格があるならば、やはり僕も若人たちに何かを語るべきだろう。うまく伝えられるかどうかは分からないが、もしも僕の一言がいつかその人の命を救うかもしれないならば、僕も語らねばならない。
 もしあなたも語るべき何かがあるなら、もちろん、あなたもだ。さあ共に語ろう。未来に生きる誰かの幸せを守るために。