笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

コーナンとホルスト


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 うちの家族は季節に一度くらい、コーナンに行く。別に習慣にしているわけじゃないけど、二三ヶ月に一度、「あれが要るよね」「じゃあコーナン行こうか」という話になる。今年の秋は、子どもの通う幼稚園のおいも掘りで使う軍手が必要になって、コーナンに行った。
 僕はコーナンが好きだ。色々なものが置いてあって、わくわくする。例えば水道の蛇口とか、ケルヒャーの高圧洗浄機とか。別に買わないのだけど、眺めてまわるだけで面白い。何に使うのかわからないような建材も売っていて、「これは家のどの部分になるのだろう」と想像するのも楽しい。飽きない。

 横浜で小学生のブラスバンドを指導していた頃、コーナンで楽器を買ったことがある。
 コルネットやアルトホルンがコーナンに売っているわけはないから、管楽器ではない。その時買ったのは、「Cチャン」と呼ばれる鉄骨の一種だ。確か、60cmと100cmにカットしたCチャンを買って帰って演奏に使った。
 その時の演目はホルストの第二組曲ブラスバンドのために書かれた名曲である。この曲では「anvil」という打楽器を使えという指示がある。anvil・・・あんびる? 木管楽器出身の僕は打楽器に詳しくなくて、なんのことだか分からなかった。調べてみるとアンヴィルとは金床のことで、鍛冶職人が金属製品を鍛造するための土台のようなもののこと。なるほど、じゃあ金床を用意して、金槌で叩けばいいわけか。確かに、音源に注意深く耳を傾けると、金属の塊を叩いているような音がする。
 で、僕は仕事が休みの日に、楽器を買いに星川駅近くのコーナンに行った。
 金床、金床・・・あった。あったけど、おそろしく小さい。握りこぶし大の鉄の塊なのだが、アクセサリーを作るための金床らしく、想像していたのと全然違う。これ、演奏で使えるような音量が出るかな? 金槌のコーナーからゲンノウを一本拝借してきて、傷つけないように力加減しながら振り下ろす。金床は、コチン、と呟いた。
 ダメだ、音が小さすぎる。
 その日は一度、何も買わずに帰り、自宅でホルストの音源をじっくりと聞き直した。バンドがある程度の音量で鳴っている中でも、アンヴィルが刻むリズムはちゃんと聞こえてくる。やっぱりある程度の音量がいるようだ。
 知り合いの打楽器奏者に片っ端からメールして「ホルストの二組なんだけどさ、あのアンヴィルって、どうすればいいの?」と尋ね回った。知らん、という人も多かったが、ある打楽器奏者から「鉄道のレールの切れっ端なんかで代用するみたいだよ」というアドバイスをもらえた。
 打楽器奏者という人種は面白い。叩いたり擦ったりして音が出るものは、何でも楽器にしてしまう。そうか、レールか。でもレールってどこで手に入る? さすがのコーナンにも、レールはなかったような気がした。
 一応、鉄道会社に勤めている知り合いに、事情を説明してレールを分けてもらえないか訊いてみた。無理なお願いで申し訳ないけど、とは思ったけど、ダメ元だ。で、やっぱりダメだった。ちょうど鉄の取引価格が高かった頃だったみたいで、「今、レール高いんだよね。中古で廃棄するようなのも、ちょっとゆずってあげるってわけにはいかないんだ」と断られた。
 そういうわけで話しは振り出しに戻った。
 しかしとにかく、この音源から聞こえてくる金属音と似たような音が出ればいいんでしょ? で、ある程度の音量があれば問題ないんでしょ? 問題は、アンヴィルという楽器が何かではなくて、アンヴィルという楽器がどんな音を出すかなんだ。同じ音が出れば、別に金床でなくてもレールでなくてもいい。
 そして、僕はもう一度コーナンに行った。そして、片っ端から金属製のモノを叩いて回り(あ、もちろん傷つけないようにね)、建材のコーナーに積まれていたC型鋼に出会ったのだった。
 Cチャンを指でコンコンと叩くと、音源で聴いたアンヴィルに近い音がした。いいじゃない、Cチャン。これでいこう。たまたま、そのCチャンを少し前に買った人がいて、その人は長すぎるCチャンを少しカットしたらしく、その端材がDIYコーナーに残っていた。店の人に確かめてその端材を数百円で譲ってもらい、長いのと短いのにさらに切り分けて持ち帰った。
 その長短二本のCチャンに、まずドリルで穴をあけてひもを通し、銅鑼用のフレームに吊り下げてみた。そして金槌で叩く。
「ぐおーーーーーぉぉぉぉん・・・」
 なっげぇ・・・。残響が、長すぎる。これでは響きすぎてリズムが刻めない。今度は吊り下げたまま、タオルで巻いてミュートをかけてみる。タオルを巻く場所にもよるのだが、なかなか残響は消えない。何度も試行錯誤して、棒状のCチャンの両端を固定すると、ちょうどいい残響になることがわかった。
 そこで、もう一度コーナン。今度は板きれの端材とゴム栓のでかいやつを買ってきて、両端に穴を開けたCチャンを板きれにドリルで固定した。そして、金槌でインパクトする。Cチャンアンヴィルは、「ぐわん!」と力強く鳴った。

 そのお手製のCチャンアンヴィルは、子どものバンドの卒業コンサートで使った。その後、アンヴィルなんてホルストの二組以外では使わないので、そのアンヴィルは楽器庫の奥深くにしまい込まれた。僕はその後数年してそのバンドにはかかわらなくなり、横浜を離れて神戸に戻ってしまったし、二組を演奏した子どもたちもすぐに卒業したから、もうそのCチャンの切れ端を見ても楽器だと分かる人はいなくなってしまっただろう。そろそろ、粗大ゴミとして捨てられていてもおかしくないかもしれない。

 でも、苦労して作った楽器や音楽のことは、印象深くて忘れられないものだ。僕は今でもコーナンで建材コーナーを歩いてCチャンの前に来ると、あの自作のアンヴィルのことを時々思い出す。Cチャンを眺めている僕の横では、ドカジャン来たおじさんが、サイズを確かめながら建材を選んでいる。そして僕は心の中でおじさんに「これ楽器なんだよ、知ってる?」と話しかけ、くつくつとこみ上げ来る笑いを、ひたすらかみ殺している。
 コーナンは楽しい。何でもそろう。大好きだ。