笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

明石海峡大橋


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走ることに慣れた 速さで息をする 見わたす町並
何処へ進むのか 薄れがかる空

 

「かつて...。」 中野良恵

 

 高校生の頃、通学電車の窓から海を眺めていると、ある日突然、海からにょっきりと柱が突き出した。
 何ができるんだろうと訝りながら、毎朝その柱をながめていた。そのうち緩やかな弧を描くワイヤーが張られ、ああこれは橋だなと分かった。でも、まさか世界一の橋ができるとは考えていなかった。ずいぶんでかいなあ、とは思っていたけど。

 全長3911mだから、ほとんど4キロ近い長さがある。人の脚でのんびり歩けば一時間弱というところだろうか。長い。橋のたもとから眺めると、一応視界に収まるのでピンとこないが、すごく長い。四キロの海峡を歩いて渡ることを想像すると、それはもうほとんど神話級だ。超望遠撮影のできるコンデジのファインダーであちらを覗くと、風のある快晴の日和だというのに、橋をくぐる船が霞んで見えた。
 開通当初は、通行料金が高くて、とても渡る気になれなかった。大学生の頃、友人とそれぞれの実家を日産・キャラバンで巡った時、できてまだ間もなかったこの橋を貧乏学生の僕たちは渡れなくて、瀬戸大橋経由で四国から本州に渡ったのはいい思い出だ。
 僕たちの大学は横浜で、そこから愛知・島根・大分と巡り、四国を経由して本州に戻ってから僕の実家のある兵庫へ向かった。旅は終盤で、みんな疲れていた。どこで交代したのかは覚えていないけど、中国道をひた走るキャラバンのドライバーは僕だった。僕以外はみんな眠りこけていた。僕は、眠気覚ましにエゴ・ラッピンのディスクをひたすらリピートしながらハンドルを握っていた。そして、少しずつ暮れていく道の先をにらみながら、地元の世界一の橋を仲間と一緒に渡れない悔しさを噛みしめていた。

 そういうわけで、その時に明石海峡大橋を渡ったわけでもないのに、この橋を見ると、大学生の時のその旅行を思い出す。キャラバンのハンドルを握りしめた汗で粘つく手の感触や、学友たちの安らかな寝息や、就職氷河期と言われた時代の息苦しさや、アルコールくさい青春の残り香や・・・。あのとき、僕が渡り損なったものは何だったろう。僕は、渡り越えておくべき何かを、渡らずに済ませてしまったような気がする。その正体は、イデアの影のように霞んでしまって、もう何だったのか判然としない。


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