笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

有馬


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 ともかく温泉はすばらしい。・・・
 温泉は平和を作り出す。どこだって露天風呂の場所はにこやかな、平和に満ちたやすらぎの世界だ。どこの誰が温泉に入ったすぐ後で、怒ったり騙したり喧嘩したりできるだろう。精神安定剤としての効果を考えてみればまさに凄いとしか言いようがない。即効性だ。

 

「旅々オートバイ」 基樹文生 新潮文庫

 

 出産の後に妻は腰を悪くした。日常生活に支障はないのだけど、時々痛むらしい。いくつかの方法で治療を試みたが、根治しない。でも、一番よく効いて、しかも効果が持続するのは、有馬の湯につかることのようだ。コロナ騒ぎがおこってから行っていなかったけど、そろそろ大丈夫かなと判断して、久しぶりに湯治に向かった。鮮やかに色づいた六甲山を超えて太閤橋まで来ると、温泉街らしい活気が僕たちを出迎えた。
 このあたりの旅館に勤めている知り合いが春に、「仕事がなくて、無職になったようです」と話していた。今の有馬は、以前ほどではないにしても、温泉街にふさわしいにぎわいがあるように見える。来ているのは日本人のようだ。去年は外国語ばかり飛び交っていた。海外からのお客さんがたくさんお見えになるのは歓迎だけど、やはり日本語のざわめきが基調にある方が日本の温泉らしくていい。僕はそのように思う。日本人も、もっと温泉に行くべきだ。温泉は素晴らしい。身も心も癒やしてくれる。つまらない緊張やストレスをとっぱらってくれる。コロナだ何だと騒がしいと、出かける気持ちが萎えてしまいそうになるけど、ギスギス、ガタガタした世情だからこそ、温泉で苛々を洗い流してしまいたい。
 と言っておきながら、もう一度話をひっくりかえすようで恐縮だが、その一方で外国語が全然聞こえてこない有馬というのも、なんだか寂しいと僕は感じる。中国語、韓国語、タイ語ベトナム語、そして時々英語・・・。去年まではそんな言葉が有馬で飛び交っていた。あちらの公衆浴場のマナーは日本と違うのか、あるいは公衆浴場なるものがそもそもないのか、タオルを湯船に入れたり、かけ湯もせずに浴槽に入ったりする人も多かったが、地元の年配のお客さんが呼び止めて首を振って見せたり、スタッフが英語で注意したりすると、ああなるほどとうなずいて日本のマナーに従っていた。そんな光景を見るのも微笑ましくて、好きだった。今はそのやりとりがない。寂しい。

 温泉で体を温めた後、僕と妻はいつもそうするように、有馬サイダーを飲み、カレーうどんを食べて帰った。いつも通りのことが当たり前にできたことが嬉しかった。冬の寒さが骨まで染みとおるようになったころにまた来たいと思う。そのときもどうか、いつも通りであってくれますように。

 


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