笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。


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 私は雲が好きなんだ、・・・あそこを、・・・ああして飛んでゆく雲、・・・あの素敵滅法界な雲が好きなんだよ!

 

「巴里の憂鬱」より”異人さん” ボードレール三好達治(訳) 新潮文庫

 

 ブログを始めるときに、一年以内に100記事を書こうと決めていた。最初の記事を投稿したのが昨年の十二月上旬だったので、「いくつ書いたかな?」と調べてみたら、どうもこれが99本目の記事らしい。どうやら目標を達成できそうで安心している。そして、100本目の記事は何にしようか、それを書いた後はどうしうかと考えながら今、ポメラのキーボードをたたいている。
 最初は、神戸市内をあちこち巡り歩いて、その土地の感想を書き綴っていこうと考えていた。しかし、オリンピックさえ中止になる世界的なパンデミックのせいで、どこにも行けない期間があまりにも長かった。なので、ふりかえって過去の記事を読んでみると、どこかに行った記事とはいえない内容も多い。このパンデミックの期間を僕がどのように過ごしたかという記録のような趣さえある。結局、何をしたかったのか、何を言いたかったのか、全然分からないブログになってしまった。
 僕にはもともと、迷子になる癖がある。
 子どもの頃からそうだった。気になると、あっちへふらふら、そっちへひらひら、本筋からそれてしまう。そして、元の道へ戻ってこない。親は気をもんだことだろうと思う。一応、自分のたどった道は覚えていて、はっと我に返ると後戻りできるのだが、我に返るまでとても時間がかかるので、結局、迷子扱いになる。
 成長して地図が読めるようになってからは、地図と非常用の交通費を持って、わざわざ迷子になりに出かけた。バイクに乗るようになって、日本中で迷子になるようになった。バイクは売ってしまったが、今でも散歩に出て細い路地を見ると、入ってみなければ気が済まないので、なかなか家に帰り着かない。まるで気まぐれな風に吹かれて漂う雲。
 そういえば、子どもの頃から雲を眺めるのが好きだった。仲間だと思っていたのかもしれない。学校の午後の授業、どうしても黒板やノートに集中できないとき、僕はぼんやりと窓の外を眺めた。空には雲があった。雲は、駆け抜けるように慌ただしく流れていることもあったし、鎖でつながれたように動かないこともあった。雲は、いつまでも眺めていられた。それで、小学校の僕はよく叱られた。中学校と高校は、窓の外に空が狭かったので、眠った。やっぱりよく叱られたけど、中学と高校が嫌いだったのは、校舎の向かいに林があって雲が見えにくかったからかもしれないと、今思う。

 大きな道に沿ってまっすぐ生きることは苦手だった。右倣え、前倣えで一斉に同じ方向へ流れていく人の列にはいるのも苦手だった。大きなものよりは小さなもの、新しいものよりは古いもの、強いものよりは弱いものに惹かれた。そのくせ見下されるのは嫌いだった。空にふわふわと浮いている雲には、憧れていたのかもしれない。すべての物差しが届かない場所で泰然としていたかった。ふわふわと風まかせに揺れていたかった。

 もちろん、社会に生きるいい歳の大人が、それでは生活できない。僕だって普段は前倣え、全体進め、右向け右の社会に歩調をそろえて生きている。オンとオフは下手なりに使い分ける方だ。雲は僕を見下ろしてなんと言うだろうか。そもそも見てすらいないのかもしれないけど。