笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

千刈ダム

 
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ゲートピアは上部がアーチ型で、それが整然と並ぶ姿は、ダムにおける近代建築の象徴、といえる風格だ。
 

 

 神戸三大クラシックダムといえば、立ヶ畑、布引、そして千刈である。
 僕は、そもそもダム好きではあるのだけど、この三つの古くさいダムが特に好きだ。現代のつるっとしたコンクリートダムと違って、石積みのフェイシングは表情ゆたかである。そして、ダムというものは大抵山奥にあるのでアクセスが悪いのが普通だが、この三つのダムは比較的訪れやすいのも魅力だ。いずれも最寄り駅(あるいはバス停)から徒歩三十分圏内である。
 千刈ダムはJR福知山線道場駅近くにある。駅から貯水場の案内のある方へ車一台分の幅の平坦な道を進んでいき、武庫川に沿って奥まで行くと、水がクレストゲートを自然越流して流れ落ちるどうどうという音が聞こえてくるのだ。
 美しい。本当に美しいダムだ。
 立ヶ畑も布引もきれいなダムだが、千刈ダムはとりわけ美しい。それはやはり、自然越流した水が白いカーテンとなってダムの表面をきらきらと輝かせているからだ。十七門あるというクレストゲートのすべてから堤体表面に沿って、シルクのように輝く水流の幕が減勢溝に向かって滑り落ちていく。まるで羽衣をまとう天女。
 古いダムでもあるし、大きさはさほどでもない。宮ヶ瀬だとか黒部だとか、ああいうド級のダムと比べれば、堰にもひとしい控えめなサイズだ。しかし、堤体のすぐ横まで近寄って見上げると、これを人間がこの山奥に作ったのかと疑うほどの巨大さに圧倒される。

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 神戸の街に、ダムは欠かせない。短いが流れの急な川が暴れ始めると、手のつけようがなくなってしまう。昭和十三年の阪神大水害はいまでも語り草だ。そのために、昭和時代を通じて神戸の河川はたびたび治水工事を施されたわけだが、相当数の大小のダムも同時に設置された。
 ダム建設の是非について、いろいろと議論はあるだろうが、ダムなくして神戸の街はない。これはまぎれもない事実であり、いまこの瞬間にも、誰の目にも触れないダムが山中でひっそりと我が役目を果たしているために、僕たちは安心して暮らすことができる。無言で眠るゴーレムのごときダムだが、それは僕らの命と暮らしを守る盾であるがゆえに、ダムは美しい。
 もちろん、徒に増やすことは避けねばならないが、街と自然を共存させる礎たるダムは、もっと評価されてもいいんじゃないだろうか。

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