笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

ポーアイしおさい公園


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 どれだけの青年が生息しているのかは知らないが、新陳代謝の活発な彼らの体臭も汗も、遮るもののないこの広い空間ではたちどころに乾いた風が吹きさらっていく。無菌室と揶揄されることもしばしばで、しごくもっともな命名だとわたしは思う。
 
「至高聖所(アバトーン)」 松村栄子 ポプラ文庫

 

 ポーアイしおさい公園は、震災以前にはコンテナヤードだったが、現在は大学キャンパスと臨海公園として利用されている。潮風かおる細長い公園に沿って、いくつかの大学が整列しているが、どの建物も新しく、美しい。ここで学ぶ学生は幸せだと僕は思う。少なくとも、僕の大学時代のように、建物の老朽化による不便や学校との軋轢に悩むことはあるまい。
 ここに、SNS映えを狙った「BE KOBE」のモニュメントがある。神戸(人)たれ・・・なるほど、プライドをかきたてるフレーズだ。少し遠いけど、気持ちよく散歩できる公園だし、ちょっと見に行ってみようという気になった。

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 神戸人には、「神戸は兵庫ではない」という妙なプライドがある。同時に、関西だとか京阪神だとかいうくくりにまとめられる時に、「神戸は大阪ではない」「神戸は京都とは違う」という言い方もする。
 僕はこの表現の仕方が好きではない。じゃあ神戸とか神戸人、神戸っ子って、一体なんなの? そこのところを、全然きちんと説明できていない。ベン図の円の外側のことは分かったけど、その内側って? 神戸≠○○じゃなくて、神戸=何って、ちゃんと説明してよ。でも、かく言う神戸人たる自分も実は、それをうまく説明できない。
 けど、それは神戸に限ったことではないとも思う。「東京人≠江戸っ子」なのはずっと昔から自明のことだし、「生まれも育ちも○○」なんていう都市居住者は、もう少数派なんじゃないかとも感じる。
 そういえば、神戸にも神戸生まれでない人が増えた。最近特にそう感じる。僕の子どもの通う幼稚園の親たちと親しく話していると、神戸以外の土地からきたという人が多くて驚く。むしろ、子どもの頃からずっとこの近所で住んでいるという人の割合の少なさといったら、ちりめんじゃこのパックの中からカニの幼生を探すようなものだ。外国から来た人も多い。近頃目立つのはロシアと東欧系の白人と、ムスリムの人たちだ。中国語と韓国語は、当たり前のようにその辺から聞こえてくる。むしろ極東圏の人たちは、神戸生まれ神戸育ちだったりする。
 神戸人の正体は、ますます分からなくなるばかりだ。

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 僕は若い頃、十数年、横浜に住んだ。その時は僕が余所者だった。横浜も余所の土地から来た人間の多い土地ではあるが、神戸よりは地元はまっ子の割合が多いように感じる。
 僕が大学生の時、同じ専攻の仲間二十五人のうち、横浜人はほんの二、三人だった。不思議なもので、余所者は余所者同士で集まってコミュニティを形成してしまう。僕たちはとても仲が良かった。僕たちはよく誰かの家に集まって一緒に食事を作ったり、イベントを企画して楽しんだりした。卒業してからはさすがに会う機会が減ったけど、誰かの結婚式があると必ず二次会の誘いがあったし、きまぐれに声を上げる者があれば、すぐに数人が集まって居酒屋での飲み会やラーメン屋めぐりが始まった。横浜出身の仲間を、それを理由にこちらから拒否したことは一度もなかったけど、フットワークの軽いのはどちらかと言えば、僕を含めた地方出身者だった。
 僕たちは「はまっ子ではない」。その意識は、確かにあったように思う。東京出身の友人でさえ、多分そうだった。青森、東京、静岡、名古屋、島根、大分、福岡、そして神戸・・・。水面の上で油の玉が、水ではないということを理由に、自分の境界線を維持しつつも互いに寄り合うように、僕たちははまっ子ではないという消極的な共通点のために、横浜の片隅で肩を寄せ合っていた。
 その時に一度、仲間からこんなことを言われたことがある。
「関西弁話すから、大阪の人だと思ってた。神戸なんだね。いやあ、なんか、関西弁なのに大阪っぽい感じがしないなあって、ずっと不思議だったんだ」
 そう言った仲間は福岡の出身だった。彼女の関西人、大阪人は、コテコテの漫才トークをずっとやっているイメージだったらしい。僕も、ノリツッコミしたりボケたりしないわけじゃないけど、大阪人ほどではなかったようだ。その時に、じゃあ神戸の人ってどんなイメージかと訪ねると、「大阪よりちょっとクールでおしゃれな感じ。パン食べてそう。横浜の人と似てるかも」と彼女は応えた。
 結局、大阪との対比や横浜との類似で語られることはあっても、神戸人とは○○である、という定義は彼女から引き出せなかった。

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 BE KOBE・・・神戸って、一体何なんだろう。ここの大学に通う学生たちも、そんなことを考えたりするのだろうか。港の向こうに山が見える風景は、確かに神戸っぽいかもしれない。しかし、そこに暮らす神戸人はどのような人であることを求められているのだろうか。