笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

道案内


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 体調には波があって、一日中倦怠感がひどくて外出する気にもなれないような日もあれば、多少怠さはあるけれど少し歩くくらいなら苦にならないような日もある。
 先だっての通院日は朝から体が重く、帰宅するとへたり込んでしまったが、数日そんな日が続いた後は、割と元気に過ごせた。運動も少しはしないと、運動不足でかえって弱ってしまいそうで、動ける時にはなるべく動いておくようにしている。先だっては久しぶりに布引の滝まで歩いた。以前であれば、布引ダムでも市ヶ原でも余裕で行けたけど、今は体調の善し悪しもあるし、もし行程の途中でへばってしまったらと考えると不安なので敬遠している。でも、布引の滝くらいなら、大丈夫。万が一なにか問題があっても、登山者も多いし、大して山奥でもないので、助けてもらえるだろうと考えている。

 ところで、僕にはある特異体質がある。いや別に、スプーンが曲げられるとか、他の人には見えないものが見えるとか、そういうのではない。じゃあ何かというと、「見ず知らずの人に、道を尋ねられる」という特異体質だ。年に数回は必ず、道ばたで突然声をかけられ、「すみません、○○に行きたいのですが・・・」と道を尋ねられる。長い間、年に数回ぐらいは誰でもそういうことがあるものだと信じていたのだけど、色々な人にその話をすると、どうも誰でも必ずというものではないと最近わかってきた。あと、「カメラのシャッターを切ってくれませんか」というのもよくある。そしてこれも、誰でも日常的に経験することではないらしい。
 知っている道なら、なるべく丁寧に教えることにしている。急いでいなければ、写真の二、三枚愛想良く撮ることにしている。暇な時なら、目的地の近くまで案内することもある。僕にとってはいつものことなので、慣れっこだ。慣れているので、道に迷っていそうな人や写真を撮ってほしそうな人には、僕から声をかけることもある。
 先だって、布引の滝まで行った時は、徳光院の門のところで、地図を片手に警備員さんに道を尋ねている人がいて、どうも警備員さんの説明がうまく理解できず困っていたようだったので、声をかけた。滝まで行きたい、というので、案内した。案内の道すがら、「こういうお仕事をされているのですか?」と尋ねられた。どうも、山歩きのガイドか何かだと思われたらしい。
 以前から、季節に何回かは布引の滝あたりを歩く習慣なので、道にも詳しいし、そう思われるのも無理はないかもしれない。
 コロナ騒ぎが起こる前は、外国人登山者も多くて、彼らからもよく声をかけられた。一昨年はインドネシアの方、その前の年はイタリアの方。フランスの方に声をかけられたこともある。声をかけられるタイミングは、秋の夕暮れが多い。山は日暮れが早いので、下山ルートをよく質問される。大抵は僕も下山する時間帯なので、一緒に新神戸の駅まで歩く事が多く、歩きながらお国の話を聞いたりなんかする。
 今回ご案内したのは日本人の親子で、滝までお連れしたあと観瀑台でお別れした。夕方だったので「すぐに暗くなるから早めに下山してください」と伝えておいたけど、さて、ちゃんと下山できただろうか。僕が心配する義理はないのだが、でも、袖振り合うも多生の縁って言うじゃない? 別れた後に道に迷われては、なんだか申し訳ない気がして、数日は案内後の彼らの安否が気になる。まあ、ニュースになっていないから、無事に下山したと信じているのだけど。
 現在、僕の体重は、夏に仕事復帰した頃ぐらいまでは戻っている。なので、無理さえしなければ生活に差し支えるほどの倦怠感を感じることは、今はない。しかしここで無理をしてはいけない。夏は、仕事量を急に戻したせいでまた倒れてしまった。少なくとももう1、2kgは増やすまでは無理せず焦らず、体力をつけていくつもりだ。要は、急がば回れってこと。急いては事をし損じる。少しずつ運動量も増やして、動ける体にしていこうと思う。
 そのためには、道案内もするさ。どんどん声かけてください。知ってるところだったら、ご案内しますよ。