笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

布引五本松ダム


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 この世界にあるすべては、イデア界にあるそれらのイデアの「影」だ。

 

「哲学大図鑑」 ウィル・バッキンガムほか/小須田健(訳) 三省堂

 

 神戸三大クラシックダムのひとつ、布引五本松ダムは、生田川の上流にある。
 石張りのフェイシングが美しいこのダムを僕が初めて見たのは、小学生の頃の市ヶ原への遠足でのことだ。市ヶ原で飯盒炊さんをするために、飯盒やら洗い米やらを背負って坂道を上っていたら、このダムが突然目の前に現れた。驚いた。僕の、ダムの原体験と言っていいだろう。そして同時に、僕にとってのダムのイデアでもある。

 僕はダムを見ると訳もなく興奮する。世の中にはそういう性質の人が一定数いるらしいけど、僕もその一人なのだ。
 バイクや車で山中の道を走っていると、時々、「○○ダム→□□km」みたいな看板が現れる。すると、僕の握るハンドルは自然とそちらへきれる。先を急いでいるときや家族と一緒のときはぐっと我慢するけれど、そうでなければその堤体を一目見るために、他に走る車両もない細道を延々とたどる。ダム湖に先に出会うこともあれば、森の切れ目にいきなり堤体減勢工が見えることもある。まず管理事務所、というパターンもある。とにかく、ダムがそこにあると分かれば、見に行かないと気が済まない。ほとんど病気だ。
 そんな体質だから、神戸市民にとってご近所ダムであるこの布引ダムには、年に一度以上訪れる。今年の布引ダムも、相変わらず美しい。近頃雨が少ないので、ダム湖の水位が下がっている。いつもなら、堤体のサイドにもうけられた洪水吐から自然越流しているのだけど、今日の水位はそのはるかに下だ。神戸は冬期の降水量が極端に少ないので、この時期にはそういうことが時々ある。

 ダムの美しさとはなんだろう。機能美、形式美、個性・・・うーん、どれも正しいような気もするし、どれも違うような気もする。でも、どのダムにも共通しているひとつの特徴は、「デカい」ということだ。森深い山奥に、あの石の壁が現れると、ぎょっとする。そしてその巨大な構造物を人間が作ったのだということに、また驚く。しかも、どう考えたって工事の難しそうな、山の中の谷間に。時代を飛び越えて現代に現れた古代遺跡のようにも見える。
 布引ダムも、文句なくデカい。もちろん、黒部ダム宮ヶ瀬ダムなんかに比べれば、遙かに小さいけれども。そしてあの、石張りのフェイシング。本当に美しい。レイヤード工法の規則正しい継ぎ目や、フィルダムの荒々しい顔つきも好きだけど、布引ダムの古めかしい石張りのクラシカルな表情には品格さえ感じる。まるで釣り鐘スカートを揺らしながら静々と歩く明治期の淑女のようだ。
 僕がダムを見るとき、特に重力式コンクリートダムを見るときには、どうしもこの布引ダムと比較してしまう。比較の基準にするには、いささか古すぎるとは知りつつ、やっぱり僕にとっての第一のダムは布引ダムなのだと思う。だから、石井ダムを見ればまず「布引ダムに比べて、つるっとしている」と思うし、一庫ダムを見れば最初に「布引ダムに比べてどっしり感がある」なんていう風に感じる。ほとんど初恋の人のような感覚かもしれない。初恋のダム。それが、布引ダムだ。

 そういえば最近、立ヶ畑ダムを見に行ってないな。神戸三大クラシックダムのうち、千刈ダムについてはもう書いたし、布引ダムは今書いた。今度は立ヶ畑ダムを話題にすることにしよう。さて、いつ行こうかな。