笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

夙川の桜


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 ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!
 いったいどこから浮かんできた空想かさっぱり見当のつかない屍体が、いまはまるで桜の樹と一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。
 今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めそうな気がする。
 
桜の樹の下には」 梶井基次郎 ハルキ文庫

 

 夙川といえば桜。
 きれいだという話は常々聞いていたけど、今まで花の季節に行ったことはなかった。今年は、妻が是非行ってみたいとねだったので、足を運ぶことにした。
 夙川を訪れたのは、花冷えの日の午後。駐車場探しにはちょっと苦労したけど、なんとか空いているコインパーキングを見つけて、いざ川へ。静かな住宅街を歩いて行くと、鮮やかな花の列が近づいてくる。
 思わずため息が漏れた。夙川の桜の、噂に違わぬ美しさだ。
 ものすごく本数が多いわけではない。間に松や椰子が植わっていて、花の合間に緑が混じっている。それに、花は六分咲きから七分咲きといったところ。でも、そのちょっと控えめな感じも素敵だ。僕の住んでいる辺りで桜と言えば生田川か摩耶ケーブル近くの桜トンネルだけど、あの隅から隅まで全部桜で埋め尽くされた感じも悪くはないが、ここ夙川みたいに、少し間があいていたり桜以外の樹が混じっているとリズムが感じられていい。
 普段と違う景色を見ると、写真を撮りたくなる。河川敷の遊具ではしゃいでいる子どもを撮りつつ、僕は桜にもレンズを向けた。ファインダーの中に、桜、松、川。うん、バランスがいい。

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 そういえば、生田川でもカメラを持った人をそれなりに見るけど、夙川はカメラを持って桜を楽しんでいる人が本当に多い。しかも、高級機。そりゃ、これだけきれいな桜ならね・・・。どこを狙って撮ってるんだろう。参考にしようとフォトグラファーのレンズの先を追ってみると、川に斜めにわたされている橋。
 橋? 桜じゃなくて? 何の橋だろうと思って目をこらすと、レールの鳴る音がして、阪急電車の車両ががたごとと低速で橋を渡っていった。その瞬間、カシャカシャとシャッター音が鳴り響く。あ、なるほど撮り鉄さんなんだ。桜と橋と、阪急電車。うん、いいじゃない、絵になる。
 せっかくだから僕も一枚、電車の写真を撮ろうと、撮り鉄さんたちの隙間から橋を狙おうとしてみる。でも、あそこから狙えばきっといい絵になると思う場所は、もう撮り鉄さんでいっぱいだ。「ここは俺のポジションだぜ」と背中で語る撮り鉄さんのプレッシャーに負けて、僕はすぐに退散した。にわか撮り鉄が本職さんの邪魔をしてはいけない。
 それでも、せっかく夙川まで来たのだから一枚ぐらい電車の写真も撮ってみたくて、そのへんをぶらぶらしていると、人気のない岸辺から、桜の枝越しに橋を狙えそうな場所がある。あ、いいじゃんとそこに僕が立った瞬間、レールの鳴る音。すぐにカメラを構えて、電車が通るその瞬間にシャッターを切った。やったね。
 でも、なんでだろうな、こんなにいい条件で電車が狙えるのに、どうしてここには人気がないんだろう。そう思いながら、バックモニターで撮った写真を確認してみたら、理由はすぐに分かった。何もないと思っていた空間に花のない枝が一本あって、それが電車のお顔を横切っている。ああ、だから撮り鉄さんは、ここにはいないのか。本職さんはすごい、何でもご存じだ。

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 まだ写真の楽しみを知らない頃、写真なんてカメラのボタン(!)を押せば撮れるんだろ、なんて思っていた。うーん、間違いじゃない。けど、いい写真とかちゃんとした写真、となると話は別だ。いい写真を撮るには、知識と技術と経験がいる。もっとも、いい写真がいつも人を感動させるかというと、そうでもないのが写真のまた難しいところでもあるけど。
 とにかく。僕にはまだまだ勉強と修練が足りないようだ。