笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

撮る責任


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 因果の花を知る事、極めなるべし。一切、みな因果なり。初心よりの藝能の數々は、因なり。能を極め、名を得る事は、果なり。しかれば、稽古するところの因おろそかなれば、果を果たすことも(難し)。これをよく知るべし。
 

 撮るのが好き、と公言していると時々、撮ってほしいと頼まれることがある。例えばピアノ教室の発表会、例えば幼稚園の行事。難しくない撮影で、自分の予定の開いている日や時間なら「遊びに行かせてもらうついでに撮ります」ということでお受けする。
 もちろん僕のカメラ好きは、下手の横好きだから、プロみたいには撮れない。機材だって高級品ではない。だから、お礼は皆さんの笑顔、ということにしている。

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 それでも頼まれた以上は、喜ばれる写真を撮りたいし、責任をもって現場に臨みたいと思っている。普段、自分の趣味で撮る時には、遊び半分、色々な撮り方を試すけれど、依頼された撮影では特別なことはしない。適正な露出、正確な水平とピント合わせ、手ぶれ被写体ぶれのないきちんと静止したイメージ。誰がどこで何をしているのかがきちんと伝わる構図と、必要な情報がしっかり解像する被写界深度。芸術家風を吹かせて背景ボケボケの写真を撮っても、後で見返した時に「これ、何の写真だっけ」と首をかしげられるだけだろう。
 撮影の下準備も大事だ。撮影当日の前に、可能であれば現場を下見する。会場の広さにあわせて持ち出すレンズの焦点距離を決めたり、撮影のイメージをつかんだりしておくと失敗が少ない。
 一度、息子の通う幼児教室の運動会の撮影を引き受け、妻から「広い体育館だよ」と言われて100-400mmの超望遠を持ち出したら、案外に狭い場所で、200mmで十分だったということがあった。そのときは無駄に長い焦点距離を持て余して、とても困った。結局、短い焦点距離を用意していたサブ機で撮ったのだけど、それ以来、知らない現場はできるだけ自分で下見するようにしている。
 現像は「パッと明るく」が基本。これは、依頼されるのが子どものイベント事が多いからかもしれない。でも、明るい写真を見ると、気分も明るくなると思うので、思い出の一枚はローキーよりはハイキーがいいと信じている。ただ、発表会なんかでフラッシュが使えない写真は、現像で頑張っても、どうしても暗くなってしまうけど。
 頼まれて撮る写真で一番難しいのは、集合写真だ。これは、本当に難しい。人数が増えれば増えるほど難しい。これは、自分で撮るようになって始めてその難しさが分かった。幼稚園の入園式の集合写真を撮れる人は神だと思う。

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 カメラがどんどん便利になって、写真なんて撮れるのが当たり前って思われている時代だけど、ただ「撮る」んではなくて「ちゃんと撮る」っていうのは結構大変だ。ちゃんと撮るためにはそれなりの技術と経験、機材、準備がいる。僕はアマチュアにすぎないけれど、頼まれて撮るとなると時々、胃がきりきりと痛む。
 それでも、僕の撮った写真を受け取ったひとが笑顔になってくれると、撮った甲斐があったなあと僕も嬉しくなる。そして、その写真がアルバムにしまわれて、数年後、数十年後にまた目に触れ、その人をまた笑顔にするのだろうと考えるのも楽しい。ひょっとしたらその写真が、飲み会のサカナになるかもしれない。結婚式のスライドショーに使われるかもしれない。ちょっと極端だけど、遺影に使われるってこともあるかもしれない。そう思うと責任重大なのだけど、その分やっぱり、写真を撮るという行為は、とてもやりがいのあることだ。

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 撮る以上は、自分のできる最善を尽くしたい。機材については、先立つものがなければどうにもならないけれど、技術の方は、学習と鍛錬次第。そう念じつつ、僕は今日もシャッターを切り続ける。